昔、フランク・ハーバードというSF作家がいた。代表作は「砂の惑星」。
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( ‥)おいちゃんはあまりこの人の作品を
読んだことはないですよね?
(‥ )砂の惑星とジャンプドアシリーズだけだからなあ。
しかもストーリーはある意味同じね(特にドサディは)
この作家さんの作風はなんか妙に詩的で美しい代わりにストーリーや設定の一部に不整合が見られること(面白さのためなら多少の破綻も無視いたしますよ勝つまでは)。
他にも男性キャラが概して女性に依存する傾向があるとかそういう部分もあるんだけども(砂の惑星シリーズの最終回はおっかないけどしっかりもののお母ちゃんに支配されることで平和な世界が到来する一方、そんなお母ちゃんの支配なんかいやだと、あろうことか今までの登場人物が全員、涅槃の世界へ向けて逃げ出すという壮絶なオチ)。
さて
ジャンプドアシリーズの2作にはカレバンという知的存在が出てくる。人類を含めたいわゆる普通の宇宙人たちとコミュニケーションするにはピーチボールという球体の部屋を介さなくていけない。それは彼らがあまりに強大な力を持つがためのいわば緩衝剤。その姿は?なしろもの。というか見えていると思えるだけで見えていない(脳が見えたと思っている状態だということ)
でっ、このカレバン、さらに言っていることがめちゃくちゃ。作風が詩的(つまりなんとなくお話を作りましたってことなので)ということもあるんだろうけども、一応、小説の設定上、彼らの知覚があまりに異質すぎるのが原因ってことになっている。
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( ‥)まったく完全なクローンを、記憶さえも同じものを
仮に作ったとしても彼らは”識別”できるんですよね。
(‥ )というか、”知覚”できるものが”それだけ”
なんだよな。
言ってみれば(作中、こういう単語による言及はないが)”由来”を識別できるし、逆にいうとそれしか知覚できない存在という設定らしい。彼らには人間が1本線に見えるんだそうな。
でも、もしも”由来”が見えるとしたら実際には。。。。
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( ‥)網目に見えるはずですよね?
(‥ )両親から半分ずつ遺伝子をもらっているからなあ。
それともあれだろうか、生殖細胞の由来を見ると人類が離合集散する網目に見える一方で、個体の体細胞それ自体はその網目からすぽっとのびた一本線に見えるんだろうか。
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( ‥)なんか奇妙な世界ですよね。
(‥ )でも現実には我々ってのはそういうものだろ?
もしさらに解像度を上げたらどうなるんだろう?
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( ‥)遺伝子が離合集散しながら枝をのばした網目を
構成しているのが見えてくるんでしょうか?
(‥ )そうなるよねえ?
例えばの話。血液型に関してどちらもBOの遺伝構成をもっている両親からはBOとBBとOOの子供が産まれうるわけだけども
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( ‥)親子の血縁関係という意味ではどの子供も
産まれた時期が違うだけで同じですよね。
(‥ )でもBとOの遺伝子の系譜を追跡した
場合、同じではないよね。
もしも由来を超高解像度で認識できる存在がいたら、人間やネコのことをどう見るだろう?
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( ‥)個体は網目になってどれも結合している一方で、
よく見ると細い無数の糸がからまるように、
個々の遺伝子の系譜が異なる分岐パターンを
描くのが見えるのでは?
(‥ )もしもカレバンがそこまで見た場合、
人間のことを何て言うんだろうねえ?
そして思うのだが、そういう知的存在はグールドとドーキンスの論争をなんと受け取るのだろう?