ドーピングは多少効いているかもしれない。しかし、これだけでフォローしきれるか?
さて
これは書評ってなんだいの続き。というかこっちがある意味、本題かもしれないんだけども。
(‥ )ルイセンコ騒動とか「2つの遺伝学」を見ているとさ
マルクス主義って”論理的だからこれは科学だぴょん”と
思っている人にすっごく受けがいい理論体系なのかなー
とまあ、そう思うわけですよ。
∧∧
( ‥)はあ、そうなんですか?
いやだって、マルクス主義だから科学的で論理的だからこれは科学で正しいのじゃーっという主張を聞いて、他にどんな解釈があるというのかや?
∧∧
( ‥)まあ少なくとも彼らがなぜ失敗したのかは
良く分かりますけどね。
( ‥)論理的だから正しいんじゃーって考えには
”経験的にデータを付け加えることで仮説を検証する”
という発想がないからねえ。
そりゃ、実験もしないのは当然。そしていくら不利な証拠が現れたって無視するわけだがよ。
実際、ルイセンコ騒動が終止符を打たれていったのはソ連でルイセンコが失脚するという政治的な出来事が発端なわけだし、”経験的に仮説を検証する”という意味での科学をしていなかったという結果がここにも見える。政治は科学じゃないでしょ(彼らは科学も政治であるべきで、マルクス主義に基づく革命を主張したから彼ら自身にとっては矛盾のない行動/主張なんだろうけど)。
でっ、ここからがさらに本題。
(‥ )論理的に正しいのだから正しいのだ、という意見は
オレ様理論に共通する問題点じゃあなかろうか?
というか、そもそもの元凶?
∧∧
( ‥)といいますと?
言葉を定義してそれを論理的につなぎ合わせて矛盾のない文章を紡ぎ出す。
これ、必然的ではないにせよ使用するデータは少数になるし、経験と検証を無視する(平たく言うと帰納法ではない)ことに直結するのでは?
∧∧
( ‥)なんで?
(‥ )データってのはしばしば矛盾するもんだぜや。
矛盾のない文章を作るって時点で、必然的に矛盾しているデータを削ぎ落としていないかね? そんなことを言っている時点で問題をものすごく単純化しているんじゃないのかね?(単純化それ自体は悪いことではないのだろうけど)
∧∧
( ‥)ああ、整合するデータだけをチョイスしているとか
分かりやすい極端な例ではそういうことですね?
(‥ )そもそも”定義”ってのがくせ者だろ?
こう定義する。というよりも、文章内部でコンフリクトが起きないように定義している時がないかね?
∧∧
( ‥)データの恣意的な解釈ってやつですか。
(‥ )既存のデータを曲解して自説に都合のよいように
受け取っちゃう人っているだろ?
あれって、結果的には恣意的な定義じゃないのか?
そして当然、矛盾のない論理的な文章であるから、この文章が申し述べていることは現実にも真実である、という主張には経験的な検証という動作も発想もすっぽり抜けている。
∧∧
( ‥)しかし、科学の歴史を振り返るに、
それは科学ではないですね。
(‥ )でもそういう勘違いをしている人って多いだろ?
知り合いのサイエンスライターにもそういうの
いたぞなもし。
法則を積み重ねて出した結論はすべからく正しい、とか、正確に定義した言葉を矛盾なく論理的に組立てれば科学であり、その解は真実であるとか、そんなものは科学とは呼べない。だけども科学とはそういうものであると考えている人は疑似科学を信じている人でもいるし、おかしなもんで疑似科学を批判する人にもいる。
∧∧
( ‥)矛盾ない文章、それ自体には妥当という意味はないですよね?
(‥ )正確な文法でしゃべられた言葉でも嘘はつけるからな。
”論理的だからオレ様は科学だぴょん”はねーだろう。
しかし、これらそもそもの根本である”使えるデータうち、少数のものしか使わない人は最初の仮説に固執する”というアイデアの調査は今だ、のろのろとして進まず。