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2017年7月21日金曜日

すべての森を大破壊するべきであった

 
 日本では産業革命が起きなかった。それは当然だろう。日本は雨量が多い。即座に植物が成長する。成長する樹木を片っ端から伐採して燃料にしても、それでもなお、木を使い尽くしてしまうということはないだろう。
 
 氷河時代に植物が土壌ごと消滅してしまうほど気候が悪く、回復した植生も生態系も貧弱なイギリスだからこそ木を使い尽くす。燃料を使い尽くしたイギリスは石炭に手をのばした。偶然にもはるか3億年前の石炭紀、赤道に位置することで大森林地帯だったイギリスには大量の石炭が埋蔵されていたのである。
 
 そうして浅い場所の石炭を掘り尽くし、深い場所の石炭に手を伸ばさざるをえなかった時、イギリスは溢れ出る地下水の処理に悩まされた。それを打開するひとつの方法が蒸気機関である。

 といっても初期の蒸気機関は蒸気の圧力で可動するものではない。ワットが、蒸気の圧力でやかんの蓋が動くことから蒸気機関をひらめいた、というのはあからさまな与太話だ。最初の蒸気機関は蒸気を冷却した際に生じる真空を使う仕組みである。当時の技術ではそれが精一杯だし、それにそもそも蒸気機関はワットが発明したものですらない。
 
 しかもこの蒸気機関。効率から言うと人力や畜力よりはるかに劣ったどうしようもない代物であった。要するに蒸気機関を排水に使うのはまったく無意味なことだったのである。それにもかかわらず蒸気機関が普及したのは、なんか人力や家畜よりもよさそう、と皆が勝手に勘違いしたせいだった。
 
 つまり、気候の悪さ、石炭紀の存在、そして蒸気機関は効率が良いという勘違い、これがイギリスに産業革命をもたらし、大英帝国を築かせることとなったのである。
 
 
 ∧∧
(‥ )それを考えると日本で
\‐  産業革命なんか
    起こるわけが無い
 
  (‥ )それでも燃料のために
      近隣の山の木々は
      切り尽くされて
      禿げ山だらけだったと
      聞くが…
 
 木曽のひのき(木曽檜)は徳川御三家が保護した天下の名木のひとつ。ひのき一本首ひとつ、枝一本腕一本と言われた厳罰で保護された木々である。
 
 そこまで厳罰をもってのぞまなければならないとは、それだけ皆が燃料として木材を望み欲し、伐採しまくったことがうかがえよう。
 
 実際、浮世絵に登場する山々に木が生えていないとか、松しか描かれていないとか、明治初期の写真を見ると禿げ山だとか、そういうことはよく言われる話だが。
 
 ∧∧
( ‥)昨日は川を遡上した帰り道
    図書館に寄って
    この町の古い写真を
    見てみたけども
 
  (‥ )確かにさ
      この山、禿げ山じゃね??
      という状況なんだよな
 
 画質は悪いが、確かに緑が妙に少ないことが分かる。他にも明らかに地肌が見えている山、木々がまばらに生えている様子が分かる山の写真などが散見された。
 
 記念植樹を撮影したよ、という写真は衝撃だった。そこは以前、散歩にいっていた場所だが、なんにも生えていない。今ではそびえるケヤキなどで市街地を見通せない丘だのに、写真の中のその場所は、遮るものなど何一つなく、すべてを見通せるすばらしい絶景だった。
 
 この町を描いた江戸時代の絵も、松ばっかり描いている。松というと植生が破壊された後にわっと生えてくる樹木だ。そして本来ならケヤキやクヌギなど落葉広葉樹に速やかに置き換えられて、消滅する樹種である。だのに松だらけ。だとしたらひたすら植生が破壊され続けていたということになろう。

 つまり確かに江戸時代には松林はあれど森なんかどこにもなかったんじゃないか? と思わせる状況である。
 
 ∧∧
(‥ )もう少し調べなければ
\‐  いけないけども
    江戸時代、明治と
    日本は禿げ山だらけだった
    という話は
    どうも本当っぽく思えますね
 
  (‥ )ぱらぱら眺めただけだが
      明治の写真が一番ひどくて
      大正、昭和となるに従って
      緑が増えていくように
      見えたな
      化石燃料の使用が増えるに
      従って森が回復していった
      証拠かもしれない
 
 日本はやはり気候が良いってことだろう。地中海とかでは一度破壊された植生は復活することなく、どうもそのままらしい。雨量が少ないことや、必然、放牧生活が盛んであるので植生がさらに食い尽くされることが原因であると聞くけども。
 
 さてもさてもそれを思うに、

 日本人はもっと日本の自然を大破壊した方がよかったのではないだろうか?

 もちろん近代のような汚染は論外だ。あれは生物を殺し尽くしてしまう。だが前近代、江戸時代のような破壊ならどうだ? 
 
 あれをもっと押し進めるできではなかったか?
 
 それこそ日本の森林のほぼすべてを破壊し尽くして、列島すべてが草原になってしまうような、一心不乱の大破壊を行うべきではなかったか?
 
 ∧∧
( ‥)実際、その方が生物には
    良かっただろうからね
    暗い森より明るい森が
    森よりも草原の方が
    生き物は多い
    植生が破壊されたままの
    イタリアでは
    オオカミが未だに
    生き残っているわけだし
 
  (‥ )江戸時代の日本人が
     もっと自然を破壊してたら
     ニホンオオカミは今も
     存在してたかもな
 
 あるいは、人間の自然破壊力をもってしても駄目であったろうか? 日本において植生が破壊された後で生えてくるのは先に述べたように松である。草と松林が広がる世界でシカが生きていけるであろうか? 生きていけるにしてもそれはオオカミの個体群を支えられるほど豊かであったろうか? 
 
 ∧∧
(‥ )どっちにしろ雨量が多い
\‐  日本では無理な話ですな
    日本人は別に自然を
    守ろうとして
    森を守ったわけではない
    日本人の破壊力に対して
    日本の気候がわずかに勝って
    その結果、森が残った
    だけですからな
 
  (‥ )ニホンオオカミの絶滅は
      必然か
 
 今や日本は当たり中が暗い森に遷移しようとしている。いつかこれを大破壊しなければならない日がくるであろう。
 
 自然が勝つか、人間が勝つか、その均衡点で世界は決定される。
    
    
  
 
 

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