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2015年10月4日日曜日

痛い踊りは売れません

 
 もはや過去の話であるが、安保反対で国会前でデモ。学生もデモ。
 
 これに有頂天になる人と、冷たい醒めた目で見る人たち。人の反応は様々だ
 
 ∧∧
(‥ )デモはルールの枠内で
\−  して良いことになって
    いますからね
 
  (‥ )俺たちはあらかじめ
      どれが正解か分からない
      だから現実に確認する前に
      これが正解だと
      他人に押し付けるわけには
      いかないのだ
      そんなことをしたら
      全滅だからな
      正解の可能性を保持する
      このために異なる見解を
      維持するのだ
 
 
 デモも自由もそのためにある。言い換えればそれ以上の意味は無い。

 デモをするから高尚だとか、表現の自由を行使するから偉いとか、そう考える人もいるが、そんなものは迷信的な価値で、実際には意味などない。現実とその結果がすべてだ。


 しかし、それがどんなデモであれ、色々な方向へのぼせ上がる人が出てくる。これは世の常。
 
 幸か不幸か、国民の安保への関心はあんまり高いようには見えなかった。大多数の人にとって安保などどうでも良いのである。むしろデモの方が浮いているようであった。
 
 もちろん、こういう冷ややかな目に対して憤る人もいる。
 
 デモに参加するのはいてもたってもいられないからです。これは踊るのと同じですよ! と
 
 ∧∧
(‥ )踊る阿呆に見る阿呆
\−  どうせ阿呆なら
    踊らにゃそんそん…ですか?
 
  (‥ )ずいぶんひさしぶりに
      聞いた表現よなあ
  
 いずれにせよ、以上の言い様で返すのなら、熱心な安保反対支持者に対する世間の醒めた目というのは、
 
 踊るのは自由だけども、そんな踊りじゃ誰も参加してくれないよ?
 
 という、たしなめの意見だとも言える。
 
 ∧∧
( ‥)マニアックな踊りを踊って
    なぜ参加しない!!?? と
    憤られても
    皆さん困るのであると
 
  (‥ )ここがなあ
      安保反対デモの限界だなあ
 
 どうも彼らは
 
 誰でも踊る自由はあるのだ!

 ということと、

 皆さんに踊ってもらうには、皆さんが踊れるような踊りでないと駄目ですね

 ということの区別がついていない。
 
 いや、むしろ、
 
 俺は踊る自由を行使している
 俺の踊りは自由のための踊りである(はずだ)
 だからお前も踊るべきだ! 
 なぜ踊らない!
 ははーん? お前たちは馬鹿なんだな??
 
 彼らが内心はそう考えていることが、はからずも露呈してしまったと見るべきなんだろう。オタ芸が他の客からひんしゅくを買って引かれるような痛さが、ここにある。


 ∧∧
(‥ )ものを売るって難しいよね
\−  
 
  (‥ )デモと言っても
      所詮は
      マーケティングと
      同じなんだよねえ
      ここを見誤ると
      消費者は馬鹿だ! と
      見当はずれな
      恨みの涙を流して
      終わっちゃうんよな
 
 それもこれも、デモに参加する自由、それ自体が高尚であると誤認したことが原因であろう。参加は高尚なのではない。参加は選択肢の担保でしかない。ましてや参加したからその意見と選択肢が正しいとか、そういうことはありえない。そう考えるとしたら、それは現実よりも自分の認識論が上位であるというあからさまな誤謬だ。
 
 
 
 
  

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