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2015年10月10日土曜日

決定論者は市場原理主義を分かっていない

 
 言論の自由というのは
 
 ∧∧
(‥ )例えるなら通貨を発行する
\‐  自由みたいなもの
    なんだろう...と
 
  (‥ )世の中には
     ”俺の考案したこの通貨”さえ
     あれば全員が幸せになれるし
     俺以外の通貨を発行しては
     いけないし
     俺以外の通貨が
     あってもならない
     そう考える奴は多い
 
 例えば、マルクス主義になればすべてが問題解決なはずだ、とか、江戸しぐさで日本人の質は向上する、とか。これさえあれば十分に十全満足である、そう有頂天に言い立てる痛い奴は意外と多いのである。
 
 ∧∧
(‥ )でも残念
\‐  そうやって自信満々で発行して
    大失敗した国家や事例は
    数知れず
 
  (‥ )意見という通貨のどれが
      最終的に正しいのか?
      俺たちはそれを
      あらかじめ
      予想できないのだ
      だから意見という通貨は
      自由に発行させて
      その価値は市場が決める
      そういうことにしたとも
      言えるよね
      
 
 その意味では、言論の自由とは市場原理主義なのだとも言える。

 そもそも、意見という通貨は皆が採用しないと価値が担保されないし、維持されないのだから、市場原理主義になるのは当然だ。
 
 
 ∧∧
( ‥)この考えでいくと....
 
   ( ‥)この考えでいくと
     ‐/ 安保反対デモの敗北は
       市場原理主義を
       認めない人たちが
       市場からそっぽむかれた
       その結果だとも
       言えるよなあ
 
 実際、安保反対デモとは、アンチ市場主義でもなかったか?
 
 たとえば安保反対デモの積極的賛成者の中には、

 若者が安保反対のデモをするのは素晴らしい。だがそれに文句を言う人もいる。かように、日本には民主主義がないのである。だからこのデモは広がりを見せなかったのである。
 
 そう申し述べる人もいた。
 
 これ、かなりおかしな話だ。なんでかというに、どんな意見、見解であれ、それに対して、こんな意見でデモをするなどけしからん! というやからはいるからである。
 
 ∧∧
(‥ )どんな意見の場合であれ
\‐  デモはけしからんと言う人は
    いるのだから
    それは絶えず生じている
    ノイズみたいなもの
    物事を語る際に
    そういうノイズは
    無視して語らねばならない
 
  (‥ )絶えずあるノイズを
      その時に限り
      ことさらに取り上げる
      なぜだと思う?
 
 それは、あからさまな論点隠しではなかったか?
 
 安保反対という通貨は、市場では低い評価しか与えられず、流通に失敗した。そういう無情な現実から目をそらすための詭弁ではなかったか?
 
 ∧∧
(‥ )市場からそっぽをむかれて
\‐  しまったことに
    まずは
    目を向けるべきであったと
 
  (‥ )だが目を向けない
      自分たちの意見という
      通貨の価値を
      無条件に信じ込んでいた
      そういうことなんだよね
 
 実際、デモはできているわけで、意見という名前の通貨の発行には成功しているのである。
 
 その時、こんな通貨を発行するな! という文句が出たから、通貨の発行の自由は日本では認められていないのだ、という文句はおかしい。
 
 これはおそらく、彼ら言う言論の自由(つまり通貨発行の自由)の内容が、通貨の発行の自由の範囲を大きく逸脱していたことの証拠でもあろう。
 
 ∧∧
(‥ )おそらく彼らは
\‐  この通貨の価値は明らかだから
    この通貨は流通するはずだ
    そうでなければならない
    そう思い込んでいたのである
 
  (‥ )つまり
      通貨の価値は
      市場原理で決まる
      発行する人間が
      決めることではない
      これを考えて
      いなかったのだな


 これは例えるなら、コミケで同人誌を出したのだが、さっぱり売れない。その後、ネット上で、”こんな同人誌を出すな!”という自分の本に対する揶揄を見て、コミケには出版の自由がないのだ! だから俺の同人誌は売れなかったのだ! と言うような痛々しさだと言えよう。
 
 この痛々しさは、発行の自由には、もれなく売れる権利がついてくる、そう信じ込んでいたせいだろう。


 もちろん現実は違う。売る自由はあっても、売れる権利は保証されていない。売れるか売れないか。すべては市場が決めることなのだ。
 
 ∧∧
( ‥)彼らは市場原理主義に
    向いていなかったのだね
 
  (‥ )考えてみれば
      マルクス主義者たちは
      市場原理が嫌いだしな
 
 いや、むしろ逆なんだろう。すでに答えが分かった(と思っている)人間は、実際にテストしてみようなどとは考えない。すでに答えは明らかなのだから、テスト抜きに実行しようとする。そしてそういう人間は決定論的な考え方に飛びつく。
 
 そもそも決定論的な世界観を持っているから、それを肯定してくれる決定論的な理論に飛びつくのだと言える。それが彼らの場合、マルクス主義であった、それだけのことなのだろう。

 *マルクス主義でないのなら、それは何かの保守思想だったり、あるいは宗教だったりする。左翼と右翼が同じだと揶揄されるのは、この当たりが多分、原因だ。着ている服装が違うだけで、中身は同じなのである。
 
 いずれにせよ、この手の人々は市場主義とか、試行錯誤が大嫌いだ。すでに結果が分かっているのだから、テストなど無駄ではないか。そうやって彼らはテスト抜きで実行して大失敗する。ソ連や大躍進の中国で大量の餓死者が出た事は有名であろう。
 
 もちろん彼ら決定論者たちは反省などしない。計画に間違いがあるわけないからである。そうやって彼らはいつでも、犯人探しを始めるのだ。コミケで自分の同人誌が売れないのは、コミケに言論統制があるせいである、と言うかのように。

 
 
 **ここでは市場原理主義という言葉を、需要と供給で値が決まりますよ、というかなり広い意味で使っています。
 
  
 

    

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