自己紹介

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2014年5月12日月曜日

消費者という概念は失敗した仮説である

 
 ∧∧
( ‥)つまり?
 
  ( ‥)そうねえ
    ‐□
 
 子供向きの絵本を作ると
 
 ∧∧
(‥ )簡単で子供騙しな内容です
\‐  ...だそうです
 
  (‥ )そりゃあ子供向きだからね
 
 では、本格的とまではいかないが、やや内容の濃い本を作ると
 
 ∧∧
(‥ )今度は反響がナッシング..
\‐
 
  (‥ )あぁ? 
     今度は読めませんってか?
 
 なんだ? ハードルを下げて門戸を広げれば、お前ら向けじゃないのにぶーぶー文句言う割には、まっとうなものを作れば、今度は、これは僕ちゃん読めませんとは、ずいぶんと笑わせる冗談じゃないか。
 
 消費者ってのはあれだ、ただの底抜けの馬鹿だ。こんな本を読める君はすごいよ、そう思わせぶりにささやくような、自分にとって都合の良い本を読んでいるから駄目なんだ。読書ってのは無様なもんだなあ。自己満足のためだけに本を読む。だから何年過ぎても次のステップへ進めない。自分が分かる本だけを読む。だから自分を肯定するだけで、何も新しいことが見つからない。そんな人生、あっという間に無意味な灰になっちまうぜ。というか、もう手遅れか? いったいお前はいつ死んだのだ?
 
 ∧∧
( ‥)と、怒り狂って
    罵倒したいところ
 
  ( ‥)時々、消費者を
    ‐□ 殺しにかかる
      作り手がいるのは
      こういうことが
      理由だろうな
 
 *それなりに完結させた物語だのに、続きを作れ、作れと、やいのやいの言うオタクに激怒。映画館に人を集めたあげく、これ以上はないというくらいの悪意むき出し、自分の傷口さらしまくりの物語を延々と見せつけ、観客全員の心をへし折り、灰にして地獄に落とす。
 
 ∧∧
(‥ )でも、実際のところ
\‐  消費者ってのは
    司令部に指示された
    単一の集合体ではなく
    単にばらばらの
    個人ですからね
 
  (‥ )それゆえに
      意見を聞くだけ
      無駄なんだよな
 
 例えば意見が一致しているように見える人々も、実際にはひとつの集合ではない。
 
 12時になったら大部分の時計が12を指し示すように、設計が遺伝的に共通だから同一の反応をしているだけなのだ。司令部があるわけでもなく、ひとつの意思があるわけでもない。
 
 ∧∧
( ‥)単に同じ反応をする
    ばらばらの個人が存在する
    だけですよ、と
 
  ( ‥)もちろん、そのばらばらの
    ‐□ 個人を消費者という
      便宜的なくくりにまとめ
      一括して標的にすれば
      金にはなるのだがね
      成功すれば、の話だがな
 
 だが、たとえ成功しても、消費者とは所詮はバラバラの個人でしかない。しかも、12時でも12時を指し示さない時計があるように、どんな時でも反対がある。鼻白むようないかれた賛美があるのと同様に、頭の悪い焦点がずれた酷評もまたあるものだ。いや、この手のものは酷評ではない、単なる勘違いだ。
 
 そういうものを十把一絡げに”消費者”と呼ぶ。これは混乱的だ。 
 
 ∧∧
(‥ )所詮はばらばらの個人
\‐   それを一括して消費者という
     いわばひとつの人格を
     全体に与えると
     精神が分裂状態になった
     奇怪な”個人”が出来てしまう
 
  (‥ )そんなのを相手にするのは
      精神科医であるべき
      だろうなあ
 
 消費者、というありもしない人格を考えてしまうことは、しばしば見られることだ。そもそも消費者自身がそうなのだ。なんであれ商品の感想を言う時、人は自分の考えを、消費者の代弁であるかのように考えていることがある。
 
 ∧∧
( ‥)さながら、
    ”僕の考えた最強の消費者”
 
  ( ‥)だが残念、それもまた
    ‐□ 存在しないのだ
 
 実際そうであろう
 
 自分は消費者の代弁者のはずだのに、なぜ皆は賛同しないのか? そう怒る人がいる。
 
 なぜ自分の意見が無視されるのか、なぜ自分と意見を違える人がいるのか? なぜ皆が同調しないのか? 理想と現実のずれ。その憤激に己の身をこがして燃え尽きてしまう人もいるようである。
 
 これらは、消費者が実在しないという証拠に他ならない。
 
 ∧∧
(‥ )消費者ってものを
\‐  考えることは
    精神衛生上すごく悪いって
    ことですかね?
 
  (‥ )というかだな
      消費者という仮説や概念が
      現実をうまく説明できない
      それが有害なのだと
      思うけどね
 
 現実をうまく説明できない仮説や概念で現実を説明しようとしてもうまくいくわけがない。彼女は僕のことが好きなんだという仮説に導かれるままストーカーしているようなもんである。そうである以上、現実とのずれは大きな災いとなって降り掛かることになる。
 
 消費者の言う事が理解できない、そう思ったら、そもそも自分のイメージしている消費者という概念それ自体を疑った方がいい。そんなもの、最初から実在しないのだ。
 
 ∧∧
( ‥)どうしましょうねえ
 
  ( ‥)消費者の意見など
    ‐□ どうでも良い
      存在しないのだからな
      それゆえに
      原理原則に従え
      そういうことじゃね?
 
 例えばラノベなら、平凡な主人公が特異な能力や立ち位置を手に入れて、もてもてのハーレムになる、それが原理原則(多分)
 
 そうであるなら、単にそれを追求すれば良かろう。本格的な物語がどうのこうのとか言う意見は無視してよろしい。
 
 ∧∧
( ‥)科学だったら妥当性の追求だね
 
  ( ‥)次の本というか
    ‐□ 次の次の本は
      大学生向けなんだがね
 
 さて、どうしたものかね
 


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