自己紹介

イラストレーター兼ライター 詳しくはhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili あるいは詳細プロフィール表示のウェブページ情報をクリック

2015年2月7日土曜日

自己責任論が無い世界では困ります

 
 ∧∧
(‥ )あなたとしては
\‐  自己責任論の方が
    まっとうですよ、と
 
  (‥ )自己責任だから
      自由や無法が
      できるのでな
      それが無いと言われたら
      窮屈で困るのよねえ
      
 
 自己責任がない世界では、これはしてはいけません、ここは危険だから入るな、入ったら逮捕します、この人生を歩まなくてはいけません、言われた通りにしなさい、こう発言しないと駄目です。それができないのなら逮捕します、そうなるだろう。
 
 というか、そうでないといけないのだ。個人に責任が無い世界では自由なんてない。個人の責任でことを行なった人間を見捨ててくれるような社会でなければ自由はない。

 自己責任が否定された世界は国家のみが責任を持つことになるだろう。そこにあるのは絶対の統制だけである。
 
 ∧∧
( ‥)今の世界だと
    国家が出来ることは
    ”この地域は危険だから
    入らないでくださいね”
    そう口頭で言うだけだよね
 
  ( ‥)自己責任は不当だ
    ‐□ そう主張すると
      じゃあ統制しようね
      そういう話に
      なっちまうからな
      それを考えれば
      口頭で言いました
      テロリストの主張は
      聞きません
      やれることはほとんど無い
      これはまっとうな対応だし
      そうでないと困る
 
 
 もちろん、自己責任は不当だ、と言っている人はそんなことを言いたい訳ではないのかもしれない。単に、危険地帯にわざわざ自分からいったのだから助ける必要なんてなくね? という突き放した意見が気に食わないだけなのかもしれぬ。
 
 しかし、それだったら、まあそう邪険に突き放すな。ああいう人たちが書いた記事をお前も知らずに読んで利用しているのだよ、難しいこと抜きに面白いだろう? そう言えばすむ話である。
 
 ∧∧
(‥ )でもそうじゃなくて
\‐  自己責任は不当だ不正だ!
    そう強行に主張する人もいる
 
  (‥ )ほら
      自己責任は理不尽だ
      そう主張する
      ご本人たちが
      率先して統制に走っている
 
 
 自己責任などという言葉を使うな、そういう態度を示すな。それは統制に他ならない。
 
 確かに矛盾はないのだ。自己責任の無い世界に自由はあってはならぬ、混沌も無法もあってはならぬ。あるべきは、これをすべきである、この言葉を使うべきである、この言葉は使うべきではない、こういう態度を示すべきである、あるいはべきではない。べき、べき、これだけが折り重なった、いかれた教育ママのような統制だ。
 
 理想論者は政敵をファシストとののしるが、実際には自分以外の理想を弾圧しているだけで、その根本は相手以上の統制と独裁である。そこに自由と無法はない。

 そしてそんな世界はつまらんのだ。
 
 
 
 
 
 

ブログ アーカイブ