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2015年2月19日木曜日

自分が自分である以上、宗教を否定することはかなわず

 
 多分、ホモ・サピエンスは、根拠の無い思いつきに強烈な執着を持って固執する、そういう種族なんだろう。
 
 ∧∧
(‥ )だとすると
\−  人間の推論過程のほとんど
    つまり
    思いつきに
    理屈を後付けする
    この行動も
    そういう固執と妄執の
    例なのですかね?
 
  (‥ )かもしれないな
      他の動物で
      こういう動作が
      あるかどうか
      それはちょっと
      分かりかねるが
 
 とはいえ、少なくとも言えることは
 
 昨日の私と今日の私は同一の連続体である
 
 とか
 
 昨日も太陽が昇った、今日も太陽が昇った、なれば明日も太陽が昇るだろう
 
 こういう根拠不明かつ論理では正当化できないような推論は、根拠無き固執でないと成立しないし、正当化できないだろうということだ
 
 ∧∧
( ‥)つまり自分が自分であると
    主張するのは
    宗教と同じ?
 
  (‥ )まあそういうことじゃね?

 
 実際、
 
 お前は誰だ? 私は何々です。それを証明できるか? これが免許証です。それは本物か? 本物だとしても免許証の存在はお前がお前であることを証明できるものだろうか? それは真実の証明であろうか?
 
 そう問われると困るのである。
 
 そもそも世間の人が言う証明という言葉はあまりにもずさんなのだ。例えば、三角形の内角の和が180度であることを証明せよ、と問われた時、教科書にそう書いてあります、国が認めています、などと答える奴はいない。いても点数はもらえまい。つまり、免許証があるから私は本人ですという主張はそもそも証明ではないのである。だが私たちは事務的にはそれで良しとするし、哲学的な議論には興味を示さない。
 
 ∧∧
(‥ )言い換えると自分が自分である
\−  この推論は論理的には
    正当化できない飛躍だし
    そしてそれでよいのである
    そして
    みながそう思っている
 
  (‥ )つまり宗教と同じだし
      それで良いのだ
      それで十分なのだ
 
 そしてこの立場で考えると宗教を一律に否定することはできなくなる。
 
 少なくとも、証明されていないものを根拠が無いまま信じているなんておかしい! と否定することはできない。
 
 ∧∧
( ‥)そんな否定をしたら
    自分が自分であると
    考えることすら
    できなくなるよ
    と
 
  ( ‥)宗教的な遺物をほとんど
    −□ 持たなかった
      ネアンデルタール人は
      自分のことを
      どう認識して
      いたのだろうな?
 
 彼らが世界をどう認識していたのかは知らぬし、それを論じた論文もしらぬ。もちろん、自分が知らないからそんな論文は存在しない、ではないけども。とはいえ暗示的なのではある。ネアンデルタール人はついに投槍器や弓といった飛び道具を発明するには至らなかった。
 
 つまり、弓や投槍器は根拠無き妄執が無いと成立しない、そういうことなんだろう。

 考えてみれば、木材に丈夫な紐を張れば槍をもっと遠くまで飛ばせるんじゃね? という発想は完全にいかれている。
 
 ∧∧
(‥ )弓を発明できなかった
\−  ネアンデルタール人は
    あなたたちより
    まともな人たちだったの
    でしょうね
 
  (‥ )たぶん、俺たちは
      気が狂ってるんだ
      少なくとも
      ネアンデルタール人から
      見れば
      そうだったのだろうな
 
 なれば、宗教は狂っているというのなら、それを言うお前も狂っているのだ。そもそも狂える猿、それがホモ・サピエンスなのである。人間は生物である。機械ではない。しかし近似的に言うのならこうだ。狂っていないのならお前はもはや人間ではない。
 
 そしてそうでなければならぬ。宗教と同様の妄執がなければ、私たちは私たち自身ではいられないし、自分が自分であると考えることもできない。


これはhilihiliのhilihili: 宗教を信じることはホモ・サピエンスの種族的な特徴
 
 
 
 

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