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2015年2月23日月曜日

方程式とは文章である

 
 例えば曰く、文系は理系のように数式に逃げることはない。文系とは物事を数式に逃げることなく、言葉で表現することを選んだ人々である。
 
 ∧∧
(‥ )という意見が
\‐   ありますよ、と
 
  (‥ )数式ってあれは
      文章なんだけどな
 
 例えば、ユークリッドの幾何原論、第2巻、定理6に曰く
 
 ひとつの直線が二等分され、それに直線を加えるとする。その直線を付け加えた全体の直線と付け加えた直線が包む長方形と、二等分された直線の上の正方形とを合わせたもの。これは二等分された直線と付け加えられた直線とで作られる線分の上に出来る正方形に等しい。
 
 ∧∧
(‥ )文面はものすごく
\‐  難解なんですけどね
    言ってることは単純で
  
  (‥ )今風に言うとこれは
      (2a+b)とbの積に
      aとaの積を加えた物は
      (a+b)の平方に等しい
      という内容なんだけども

 
 ようするに幾何原論、第2巻、定理6で述べられ、そして証明されていることは
 
 aa+2ab+bb=(a+b)(a+b)
 
 である
 
 ∧∧
( ‥)これは中学の時に習う
    二次方程式ですよ、と
 
  ( ‥)当時は方程式という
    ‐□ 表現方法がなくてな
      全部文章だったんだよね
 
 というか、何世紀も文章だったのである。ずっと後の世になっても、人々は文章で考え、計算と問題を解いていたのだ。 
 
 そして文章を方程式という形式で書くようになっても、方程式が本来は文章であったという点はまったく変らない。
 
 例えば積分記号のインテグラル” ∫  ”これは和の意味を持つsummaのsを上下に伸ばしたものだ。あるいはギリシャ語のσを伸ばしたものという。
 
 *summa自体はラテン語
 
 **ギリシャ語だとσυμμαδευωで”集める”の意味になる。これをラテンのアルファベットに直すと、summadeyo。ラテン語にはギリシャ由来の単語がかなり入っているのだけど、summaもここから来たものだろうか。
 
 ***ギリシャ語のシグマ(σ)は単語の語尾につくとsに似た形になる。大文字だとΣだ。これも方程式には登場する。
 
 ∧∧
( ‥)ようするに積分記号って
    ”わー”って
    書いているようなもの
    なんだよね
 
  (‥ )考えてみれば
      すごい間抜けなんだよな
 
 しかし、これも方程式が本来文章であることを示すものだ。
 
 そういう意味では文章自体、それは方程式のように考えるべきなのだろう。だって方程式自体がそもそも文章なのだから当然ではないのか?
 
 実際、思うのだけども、発言者がこれこれである、そう述べている時、それに対してかなりトンチンカンな突っ込みを入れる人がいる。
 
 それには色々なものがありうるが、時々見るのが、
 
 突っ込んでいる人間の言っていることが、結局は元々の発言者の発言内容から一歩も外へ出ていない、という場合だ。
 
 もちろん、突っ込みを入れている人間は、あなたはそう言うが、こんなことがあるではないか、と例外の事例を取り上げ、発言者の見解を否定し、あるいは正しているつもりなんである。
 
 しかし、発言者の主張を方程式に例えた場合、その突っ込み内容は、方程式の変数に0が入ったとかそういう特別な場合であったりする。
 
 突っ込みを入れて見解を正しているご本人は鬼の首を取ったかのような有頂天ぶりだが、その内容ときたら、楕円は二つの焦点を持つというが、円にはひとつしかないんですよ! とドヤ顔で決めているような感じだ。
 
 端から見るとお前は単純に読解力が無いだけじゃね? そう思えるような事例である。
 
 ∧∧
(‥ )文章を方程式のようには
\‐  理解していないって
    ことですかね
 
  (‥ )そして
      文章の理解が甘いのは
      方程式が解けないと同じ
      方程式は
      文章なのだからな
 
 
 以上を考えると、冒頭の主張は、文章は方程式と違うだの、方程式よりも文章の優位性をうたいあげるだの、どうにも胡散臭い。
 
 ∧∧
( ‥)要するに?
 
  (‥ )文系って言う割には
      歴史を知らなくね?
 
 
 あるいはこう言えばよいだろうか、文系という割には歴史も文章の理解も軽視していないかと。
 
 
 

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