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2015年2月4日水曜日

空気が変ることがある

 
 公園へいって資料を読んでいると、老人たちの話す声が聞こえた。老人は孤独である。そして暇である。運動不足を解消しようと足を運ぶ先の公園で、自然とお互いに会話を求めるものだ。
 
 老人が言う
 
 あれが宗教の恐ろしさ
 
   ああ、イスラム国の
 ∧∧ ことだね
(‥ )
 ‐( ‥)ヨルダンのパイロットを
   ‐□  生きたまま焼いて
      動画をアップしたからな
 

   イスラームだと
   人を焼くのは 
 ∧∧ 良くないのだよね
( ‥)
 ‐( ‥)以前、一時だけども
   ‐□ イランの人が日本に
     たくさん出稼ぎに来たことが
     あって
 
 休みともなると大勢のイラン人が代々木公園に集まったので、リトル・テヘランと言われた時であった。
 
 90年代の話である。
 
 ともあれ、それだけたくさんの人が来ると日本で亡くなる人も出る。自治体は普通に火葬するのだが、これにイラン大使館は抗議した。
 
 人は曰く。不法就労の人を、それでも荼毘に付したのに、なぜ抗議をするのか?
 
 だがそれはむしろ次のように考えるべきなのだろう
 
 法のグレーゾーンだかなんだかを使って日本で不法就労していた。とはいえ、その遺体を焼かれてしまったら、国家として抗議しないと国民に顔向けできぬ。
 
   人を焼くってのは
   そのぐらい
 ∧∧ ひどいことなんだよね
(‥ )
 ‐( ‥)しかも今度の事は
     生きた人だろ?
     日本人から見ても
     おいちょっと待てよ
     という話だ
 
 日本は切腹と介錯の文化だ。その日本人からしても人を生きたまま焼いて処刑するというのは、恐ろしい以前に不愉快である。
 
 ましてやイスラームの人々はこれをどう思うか。
 
 イスラム国もおしまいか。
 

   イスラム国って
   使って欲しくない 
 ∧∧ そうですけどね
( ‥)
 ‐( ‥)そりゃそうだろうなあ
 
  
 公園の老人たちは言っている。
 
 ああいうのは断固として...
 
 やはり不快感は同じらしい。
 
 そういえば世の中にはこういう空気を読めぬ人間も多い。聞けば、テレビのニュース番組では、こんな事態や相手にも関わらず、文化人やら知識人やらが、安倍首相がいけないのだ、とか口を尖らせ、お前はテロリストの広報部なのか? ともとれる発言をしているそうだ。
 
 どこまで本当は分からぬが、しかしそういえば、彼らはしばしば
 
 空気を読めとはどういうことか??! 
 
 と不満を述べる。ネットは空気を押しつける相互監視社会だと苦言を述べる。
 
 言い換えると、ご本人たちが、空気を読めない奴、というレッテルを貼られて難儀したことがあるのだろう。
 
 ∧∧ 空気を読めない人たち
(‥ )
 ‐( ‥)親の命令や
   ‐□ 理念に固執する人間は
     必然的に空気を読めない
     でも周囲の白い眼は
     認識できてしまう
 
 あの連中が言論の自由に固執するのも当然だろう。本当は、言論とは自由ではなく、混沌でなければならぬ。
 
 だがしかし、彼らは反対だ。彼らは”これが真の自由だ”という自由の理想型に固執して、そうして統制に走るのである。
 
 残念ながら自由は女神であって顔がある。整った顔を持つものが自由であるわけがない。所詮、女神なんてものはあばずれだ。
 
 真と可能性は顔無き混沌の中にあり。
 
 しかしそれでも固執する人間は自由と女神に固執する。
 
 これも空気を読めぬ人間の必然ということだろうか。
 
 
   でもそれも
   今回の件で
 ∧∧ 終わりですかね
( ‥)
 ‐( ‥)空気の読める一般人は
     知識人のようには考えぬ
     それは公園で耳をすませれば
     分かること
 
 なれば行き着く先も定まっているだろう。
 
 彼らは口をつぐみ、そして彼らは滅びへ向かうこととなるのだろう。たとえ100万言を積み上げて自己弁護しようが、空気とはそういうものだろう。
 

 

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