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2014年1月18日土曜日

集合意識という前提は仮説の説明能力を削ぐ

 
 その集合を構成する個々のものは別に全体を考えているわけではないのに、遠くから見ると、まるで全体がひとつの生き物、あるいは意思を持つ存在であるかのように見えることがある。
 
 ∧∧
(‥ )例えば鳥の群れって
\‐  そうですよね
 
  (‥ )ねぐらを決める時、
      たくさんいる小鳥が
      猛禽類に襲われた時
      そういう風に見えるよね
 
 youtubeで検索したら、例えばこんなのが出てくる
 
=>Falcon Attack: Peregrine Divebombs Flock of Starlings - YouTube
 
テレビ番組かなにかだよね? というものも出てくる

=>Earthflight (Winged Planet) - Peregrine Falcon Hunts Starlings in Rome (Narrated by David Tennant) - YouTube
 
 ∧∧
(‥ )ローマって冬になると
\‐   小鳥がわんさと
     押し掛けてくるの?
 
  (‥ )暖かさに惹かれるだか
      なんだか、
      そこに猛禽類が
      襲いかかって見事で
      奇妙な運動が開始される
      わけだな
 
 他には例えばなんかうろうろしている動画

=>starling murmuration Gretna 2013 - YouTube
 
 ∧∧
(‥ )なにしてるんだか知らないけど
\‐  遠目から見ると、巨大な
    アメーバーかなにかのように
    見えますよね
 
  (‥ )なにか手探りで考えてる
      生き物のように見えるよね
 
 でも、あくまでもこれは個々の鳥が単純な規則や反応に従って動いているだけで、これ自体が意思のある生物、というわけではない。
 
 ∧∧
( ‥)あるいは意思、というのは
    こんな程度のもの、
    鳥たちが周囲と仲間を見て
    あっちいってわー
    こっちいってわー
    と右往左往するだけの
    物でしかないとも言える
 
 
  (‥ )すると例の話だな
      ドワンゴの会長さんが
      3年前に言ったとされる
      人間はいまやネットを
      媒体とする
      巨大な演算装置の部品と
      化していて、
      いわば集合意識みたいな
      ものがあるという発言
      でも、その集合意識って
      こんな程度の
      話じゃないの?
      ということよね
 
 
 以前も引用したけどもこれ=>4Gamer.net ― 「ひろゆき」みたいな人間が増えていくと,人類は滅亡する!――川上量生氏との対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」年末特別号
 
 ∧∧
(‥ )なんかそういう巨大な力と
\‐  社会の剛直性と関連させている
    かのような発言も見られますが
 
  (‥ )会長さんは起業家さんだ
      新しいことをするってのは
      波のないところで
      波を起こして
      サーフィンするような
      無茶ぶりが必要だろう
      からね
 
 なんでこの企画を分かってくれないんだ、と思うのは当然だろうし、世界の剛直さを突破するのが仕事だろうし、そこで苦しむのだろうし、考える以上、考えないことは許しがたいだろうし、頭が良ければネットの煽りサイトとそれに煽られたユーザーの相乗効果による炎上、というようなものを見ると、嫌悪したり呆れたりするだろう。そしてその有様を説明するために集合意識とかそういうものを仮定するのは...
 
 ∧∧
( ‥)立場や立ち位置を考えると
    そんな突飛な発想では
    ないだろうと
 
  ( ‥)最低限、人間個人個人が
    ‐□ 原始的なオンオフの
      部品である
      リレースイッチとなり
      ネットで接続されて
      巨大な演算装置と化す
      それが炎上や、
      集団の剛直性を産む、
      この仮説は
      物事を理解する時に
      便利ではあるかもな
 
 実際、ある程度、世界を説明できる仮説は有意義なものだから、それはその人の指針となるだろう。
 
 ∧∧
( ‥)ただ、説明できる=正しい
    ではないんですけどね
 
  (‥ )プトレマイオスの天動説が
      1400年の長きに渡って
      採用されたのは
      性能が良かったから
      だからね
      だが正しくなかったわけだ
 
 有意義だからといって、その仮説が正しいとは限らない。
 
 もちろん、有意義だから間違っているわけでもない。
 
 そして有意義であれば、たとえ結果的に間違っていても役に立つのだ。仮説とはそういうものだ。
 
 ∧∧
(‥ )ともあれどう考えるべき
\‐  なんでしょうね?
    鳥の群れの行動が
    個々の鳥の単純な反応の
    累積でしかないのなら
    意識なんてそこにはないし
    反対に、意識なんて
    こんな程度のもんだろ?
    そう思えば鳥の群れは
    全体として情報を処理して
    反応を出力していることに
    なる
 
  (‥ )意識うんぬん、という
      難しい単語を使うから
      理解が混乱するんじゃね?
 
 ∧∧
( ‥)解答の探索は集団を構成する
    個々のメンバーのごく単純な
    行動と反応、相互作用で
    充分に計算することができ、
    出力が可能である
 
  ( ‥)そうねえ、集合意識仮説の
    ‐□ 悪い点はここにあるの
      だろうな
 
 意識という単語は、具体的な演算の過程やどんな入力があったのかをまったく語っていない。
 
 つまり、意識という言葉は文章中においてごまかしとして機能してしまう。
 
 ∧∧
(‥ )そもそもこのパソコンには
\‐  意識があるから性能が良い
    あるいは反対に
    意識があるからバグる
    なんて言いませんからね
 
  (‥ )集合意識って単語を
      排除した方が
      仮説は説明能力が
      高まるのだろうね
 
 人類集団に集合意識がある、という前提は多分、仮説の説明能力を削ぐだろう。さらに言えば、そもそも私たち自身に意識があると考えることがおそらく間違いだ。
 
 ∧∧
( ‥)人間に意識なんてない
    意識は錯覚だ
    あなたの昔からの持論だけど
    そのままだと根拠のない信念
    だよね?
 
  ( ‥)人間は無意味な信念を
      持つものさ
 
 ではどちらの説明能力が高いか? それが争点になりうる。
 
 
   
     

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