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2013年11月30日土曜日

役のない手札、それは豚

 
 要するに、俺様理論屋とかトンデモ君とかは社会的不適合者なのだ。
 
 ∧∧
(‥ )という意見
\‐
 
  (‥ )まあ、適合しては
      いないだろうね
 
 彼らは最初の思いつきに固執して、思いつきを支持する証拠だけを集めたり、思いつきを支持するように曲解したり、あるいは無視したりする。
 
 ようするに頑固で頑迷なお馬鹿さんなので、そりゃあ周囲から浮くし、嫌われる。
 
 あいつ浮気してるに違いない、違いない
 
 あいつまだ俺のところが好きなんだ、好きなんだ
 
 俺には才能がある、才能がある
 
 俺は絵がうまい、文才がある、認めない世間が悪い、悪い
 
 そりゃあ浮くし、嫌われる
 
 ∧∧
(‥ )なんで馬鹿が一定数
\‐   産まれてくるんだ?
     という嘆きの声も
     ありますね
 
  (‥ )人間の知能や推理力や
      問題解決能力は
      複数の部分から
      成り立っていて
      それを司る遺伝も
      複数様々だって
      ことじゃねーか?
 
 俺様理論屋とかトンデモ君は執着が非常に強いが、実はそれ自体は悪いことではない
 
 ∧∧
( ‥)ケプラーさんみたいに
    ずーっと間違った仮説に
    執着しているのに
    科学に大きな貢献をして
    偉大な業績を上げた人も
    いますからね
 
  ( ‥)あの人はそれが顕著で
    ‐□ そこが理解不能で、
      そここそが魅力的
      なんだよな
 
 最初の著作で、事実上後の”ケプラーの第二法則”に該当することを、なんの根拠も無く、いきなりつらつらと述べ始めたり、最後の最後まで宇宙は正多面体の入れ子構造で出来ており、プラトン的な秩序があると信じ込んでいたのにも関わらず、それを真っ向から破壊するかのようなケプラーの第一法則を発見して不動のものとする。
 
 頭がいかれている、としか言い様がない。神がかっているし、まごうことなき狂人だ
 
 ∧∧
( ‥)そしてそこにあるのは、
    妄執と固執である
 
  (‥ )だが、なぜそこで
      終わらないか?
 
 それは自らの妄執や固執を破壊することもいとわなかったこと、いとわなかった割には妄執を捨てることもなかったこと、そのくせ観測結果というデータを説明する最良の仮説をひたすら探索し続けた事
 
 ∧∧
( ‥)結局、解の探索と
    その解が答えに近いか
    それを判定する客観的な
    物差しをもっていた、
    そういうことですか
 
  (‥ )自分が今いる座標と
      高度を知る
      その感覚さえ
      生きているのなら
      妄執は解探索をしなければ
      ならぬ、
      原動力そのものになるよね
 
 
 見方を変えれば、俺様理論屋やトンデモ君がどうにも駄目なのは、妄執というパーツがあるのに、他のパーツが駄目になっているからだろう
 
 そして仮に、推理に関わる能力をそれぞれ司る遺伝子があるとする
 
 ∧∧
(‥ )両親の精子と卵子
\‐  それぞれから遺伝子を
    もらう以上、
    さらに司る遺伝子が
    複数ある以上、
    人間の推理力は
    その場で配られた手札のような
    ものになりますかね
    そして手札の組み合わせは色々
    多くの人は無難な組み合わせ
    だがそうでない人もいる
 
  (‥ )ようするにだな
      トンデモ君たちの手札は
      役の無い、豚、だって
      ことだよ
 
 手札が無作為に配られるのなら、豚の手札は、割合こそ少ないが、必ず一定数生じる。ゼロになることはない。これは原理上しょうがない。
 
 では、一体どこで人生を間違えたのか 
 
 そりゃあ受精したその時だろ?
 
 あの日、あの時、隣の精子が受精に成功しておれば、こんなことにはなっていなかったはずだ。そうであればお前に似ているがお前でない誰かが生まれ、訳の分からん持ち込みなどせず、ありもしない自分の才能を信じることもなく、絵も文章も、下手糞な脚本を書く事も無く、アニメや本の評論ブログを孤独に書くこともなく、
 
 そうではなく、
 
 もっと普通にありきたりに過ごして結婚して家庭を持ち、両親に孫の顔を見せる事もできたはずだし、あんな風に小言を言われることもなかったはずだ、そうではないか?
 
 
 ∧∧
( ‥)そういう遺伝的決定論は
    無責任で根拠が無い、と
    怒りの非難を上げる人も
    いるでしょう
 
  (‥ )まあ、いい加減で
      当てずっぽうな
      意見であることは
      認めるなあ
 
 とはいえである。遺伝的決定論否定主義者も罪作りなのだ。連中は、人の魂も能力も、粘土のように自在に作り替えることが出来ると信じ込んでいる。
 
 ∧∧
( ‥)努力すればね
 
  (‥ )そういうのは
      無駄な努力って言うんだよ
      だからだな、
      どっちが残酷なんだろな?
 
 どちらが残酷なのか?
 
 受精の瞬間に詰んだのだから諦めろ、と言う方が残酷か?
 
 それとも本当に残酷なのは、出来もしないことを、努力すればかなう! と訳知り顔で叱咤激励して笑顔で応援する方か?
    

 さあ、どっちを選ぶかね。もう時間はないぞ。
 
 
    

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