世の中には
(‥ )化石には再現性がない、だから古生物学は科学じゃないぽ
とか言ってるくせに「これはアンモナイトだ」とか
「この地層からはアンモナイトが出る」とか、
そういうことは「理解できる」やつがいるんだよな
∧∧
( ‥)はあ、まあねえ。
特定の場所から特定のものが出てくる、それが「分かっている」、どころか「予想している」ってどういうことだと思う?
世の中には
( ‥)系統解析、例えば分岐学とかは仮説でしかない、
歴史は再現できないから
信用するに値しない、という人もいる。
∧∧
( ‥)ああ、まあいますね。
というか、「まだいますね」というべき?
じゃあ、例えばの話、あんたの言う「ティラノサウルス」って何よ?
∧∧
( ‥)ティラノサウルス・レックスは種です
(‥ )問題はその「種」という言葉にどんな意味を
込めるかだな。
仮に、交配し、進化する集団だという意味をいれた場合、
∧∧
( ‥)それは系統と歴史に関する陳述になりますね。
(‥ )歴史は再現できないと言って、
実は再現した単語を口にしている。
歴史は再現性がないとか言っている人が、「ティラノサウルスの親子」とか、「ティラノサウルスはきっとダスプレトサウルスから進化したんだ」とか言っちゃいかんでしょ。
*系統解析を否定するのならいかなる血縁関係の推論も放棄したってことだろ? という意味。
∧∧
( ‥)まあ、でも系統解析のアルゴリズムを用いなくても
血縁関係、それ自体は導きだせる、と思う人はいますから。
( ‥)そういうの、今の時代では推論じゃなくて憶測って
言うんだよ
ただしかし、できない時代には、これは憶測にすぎないのではないだろうか? と自問自答しつつ系統を論じていたらしい。
日本の著名なハチ学者であった、坂上昭一さんによる「ミツバチのたどった道」思索社 1970 の5ページにはそんな言葉が出てきていた。
古生物学に十分なたすけをもとめられないとなると、のこった道はひとつしかない。現存する昆虫にみられる各種の生活様式を比較して、そこからミツバチのたどったあとを可能なかぎり推定するという方法である。ー中略ーだが現存する諸様式をそのまま諸段階としてつなぐのではなく、むしろそこから、中間段階のあり方についてある程度の可能性を順次限定していくというアプローチはゆるされることであろう。というより、この方法が最上のものだから採用するのではなく、それ以外にさしあたってよい方法がないから、それによって知れるだけのことを知ろうという、ごくささやかな願いにすぎない。pp5
∧∧
(‥ )なんかこんなことを言うと失礼かもしれませんけど
□- ものすごく真っ当な主張ですよね。
(‥ )そうなんだよな。
坂上さん、他のページでは真社会制昆虫の進化の説明に今西錦司の言葉も用いていたり(使う意味があるのかどうか今ひとつよく分からなかった)、そうかと思うと別の本(「私のブラジルとそのハチたち」1975年)ではハミルトンの血縁淘汰を論じているという案配で
∧∧
( ‥)時代を感じさせますし、時代の制約の範囲内で
-□ やれることを自覚的に(自戒もこめて?)やった、
そういうことでしょうか?
(‥ )じゃないか? もしも大量のデータを持っていて
自分の仮説とデータとの、個々のずれを
漠然とでも把握できれば、そうおかしなことには
ならないと思うけども。
結果の検討はまたいずれ。
ともあれ
∧∧
( ‥)データと仮説の誤差を把握できれば
極端におかしなことにはならないだろうと?
(‥ )逆にそこが駄目だと、もうどうにもならんよな。
少量のデータと自分の仮説にこだわる連中がオレ様理論屋になったりトンデモ仮説を喚き立てるのは、まあ当然と言えば当然。
仮説をデータで検証するにはなんらかの基準が必要になる(それがないと仮説は検証不可能になる)。
さて、例えばの話、化石には再現性がないとか言う人はそういう基準を持っているのだろうか?
ちなみに
∧∧
(‥ )先の坂上さんの本によると、
□- 系統の”推理”をしたこと、あるいはその過程に対して
批判があったというむねのことが書かれていますね。
(‥ )今から40年前は「歴史の推定」は科学として
認められていなかった、ということかもね。
なるほど、当時は系統解析の手段がなかった。その批判は当時としては確かに正当と言えば正当だ(だった)。
だが今はある。時代は変わった。