∧∧
(‥ )その子は川の流れは「こちら」とつながっているから、
\- そういっていました。
(‥ )空も星も太陽も月も、その点では
同じなんだけどもね。
川、川には流れがあるからこそ「こちら」まで行けるのだと思いつく?
しかし、流れだけにそれはやはり危ない。
さて
∧∧
( ‥)でっ?
( ‥)政治家は愚かである、マスコミは政治家を揶揄するだけ
それをただ鵜呑みにするだけの一般大衆は愚かだ
とはよく言われることだけども。
政策の提案、投票、実行、その結果を受けての再投票。
以上のように、民主主義が提案と実行、利益の大小と有無で政策の有効性を「確認する」作業であるとするならば
:政治家に知性は必要ない
つまるところ政策を提案するにはサイコロがあれば十分で、政策の有効性や見通しは投票再選という過程で確認される(ゆえに判断する知能は本質的に必要ではない)
∧∧
( ‥)一方、マスメディアは情報を人々という集合に売るわけです
(‥ )集団に売る場合、商品は集団の平均値に引きずられて、
その内容は平均値へ歩み寄っていく。
ニュースキャスターがベンゼン環の表記方法が分からない、あるいはそういうことを把握する予習をしなかったとしても、それは一般的には認識されない(これはそのニュースキャスターの知的能力や仕事への意欲がプロというよりは、単に普通である、ということを多分、暗示している)。
∧∧
( ‥)つまり
(‥ )マスメディアはレベルの高い報道をする必要がない
:メディアの妥当性は認識的に無害であれば良く、それ以上を求める淘汰圧は無視しても良いレベルで、そうである以上、そこに至らない
∧∧
( ‥)それなりに仕事はしているんですけどね
(‥ )それなりにしている。それで十分な場合もあるけども
ある限界内に留まるってことだな。
でっ
:人間の大多数は物事を鵜呑みにするか受け流す。
考える人間も、その多くはとんちんかんな解答しか発見できない(妥当性を検証する力を欠いているのでオレ様理論屋になる、ということ。逆に言うと、考えてなおかつ妥当な解答を発見できる人間はごく少数)
∧∧
( ‥)つまり?
(‥ )人間は考える動物ではない。そのように仮定した時、
愚かな政治家、マスゴミ、有権者は馬鹿、という
愚痴が指し示す現象が説明可能。
あるいはより言えばこう?
人間は考える動物ではない。しかしそれでもなお知能の介在を抜きにして解答を探索するツールとして民主主義がある、と前提した場合、
∧∧
( ‥)現状を嘆く一部人々の不満の対象、
つまり社会がなんでこんな有様なのかを
説明できると。
(‥ )というか、むしろ知能がない、知能がなくても
解答を探索できる。人間と民主主義とは
そういうものだと考えた方がよりうまく
説明できると思わないかね?
仮に人間は考えることのできない動物である説が妥当である場合、政治家は馬鹿だ、有権者はアホだ、マスメディアは腐っているという批判は、たぶん、現実世界を説明できないだけの誤った仮説。
∧∧
( ‥)考えろ!! という批判はよく耳にしますが
(‥ )そういう批判があるってことは
考えていないんじゃない? ということだと
思うのだがな。
考えろは、考えていないから考えなさい、という要求であるとも言えるけども、考えない動物だとしたら考えろという要求がそもそもおかしい。
∧∧
( ‥)なんと言えば?
(‥ )考えるのはあんたの勝手だけども、
取りあえず鵜呑みにしとけ。
*鵜呑み、これは例えばバイトの指示と同じ? バイトでも「少しは考えろよ!!」という声が上がることはあるけども、それはその人が概して平均以下の判断力しかない場合に出る言葉。「考える」ということは平均的には大同小異なので、同じ速度で歩く人間が相対的には止まって見えるのと同じく、平均的な「考えている」は見えにくくなるのかもしれない。つまり「考えろ!!」という注意はその人が平均以下であることを示している。あるいは平均以下の判断力を引き合いに出さないと「考える」は特に自覚されない。
∧∧
( ‥)とまあ、そんな感じではないかと?
(‥ )そんな感じなんじゃね?
つまりこう?
平均以上に考えろ、という要求は横暴であるし、そもそも現実を説明できていない。