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2016年11月6日日曜日

本は無駄の創出に失敗した仮説

 
 もしお金が幾らでもコピーできるものであるのなら、誰も欲しがらないだろう。つまり、幾らでもコピーできるものに価値はない。
 
 ∧∧
(‥ )しかるに電子情報は
\−  それが本であれ
    音楽であれ
    コピーしやすいのである

 
  (‥ )つまりネットの情報に
      価値も値打ちも無い
 
 少なくとも、皆が電子関連の音楽や書籍、その他の情報、それがなんであれ、それらに金を出したがらないことはこれで十分に説明できる。
 
 ∧∧
( ‥)とはいえあれだよね
    それでもなお
    無駄自慢をすることは
    できるよね?
    例えば電子書籍でも
    ページ数1000ページ
    内容は難解
    読破した人間はほとんどいない
 
  (‥ )それを読めたら
      読める俺様すげー自慢が
      できるからな
 
 *例えばの話、村上春樹はどうにも嫌いだ、とけなす人がいる一方で、彼の人の書籍をおおいに尊ぶ人もいる。この両極端な差は彼の人の文体に非常にくせがあるからかもしれない。仮にそうだとすると、読み進められる、読み進められない、という個人差が非常に激しいということだ。そうであれば、読める人間は、”読める俺様すげー自慢”、を無条件に行使できることになる。これは本としては非常に大きな美点だ。本を買うことと、読書することはまったく別の動作だ。読書それ自体は無駄自慢でしかない。このことを考えると、くせのある文体が美点になる理由と謎は明らかであろう。
 
 かように読める俺様すげーだろ自慢は、読書の根幹でもある。

 言い換えると読書人にとって、本の内容や理論の正確な理解なんてどうでもいいってことなのだが、それはまあここでは置いておく。
 
 ∧∧
(‥ )ともあれ
\−  コピーが容易であるがゆえに
    電子書籍に価値がなくなる
    これ自体は必然なのだが
    読破できた!
    という点にはなお価値が
    残るはずなんですけども…
 
  (‥ )どうもそれが
      見えてこないのだよな
 
 
 人間は無駄自慢をする。
 
 例えばこんな小話
 
 曰く、休みの日に紅葉を見に行ったよ、と自慢する人に、へー、わざわざ葉っぱを見に行ったのですか、と言ったら相手を怒らせた。

 紅葉を見に行くという風雅な行為も、しょせんは葉っぱを見ることでしかない

 一見すると人の愚かさと虚構を突いた真理であるかのように聞こえるが。
 
 ∧∧
( ‥)実際のところ人は
    休みの日に
    わざわざ葉っぱを見に行く
    という
    経済力と余裕を誇示して
    いるのである
 
  (‥ )それを分からないで
     休みの日にわざわざ葉っぱを
     見に行ったのですかー
     と言って
     真理を突いてやったぜと
     したり顔しているようでは
     駄目だな
     そんな浅い理解の人間は
     生涯地を這う
 
 かように人の行動は無駄自慢で構成されているのだ。

 ではなぜ、電子書籍でも読破を自慢する人間がいない?
 
 あるいはいるにしても、なぜ電子書籍は伸び悩む?
 
 ∧∧
(‥ )書籍の電子化は
\−  作り手側からすると
    実はかなり費用がかかるから
    ということもあるのですが
 
  (‥ )でも採算が取れれば
      もう少し伸びても
      おかしくないだろう?
 
 
 これをどう説明しようか?
 
 例えば、世の中はすでに無駄自慢をするほどの余裕もない、ということであろうか?
 
 ∧∧
( ‥)可能性はあるよね
 
  ( ‥)若者が仕事の後に
    −/ 酒を飲みにいかない
       これも
       無駄自慢の放棄だよね
       しかも自主的な放棄だ
 
 仕事終わりで休みたいのにわざわざ時間を割き、さらに体に有毒な酒を飲み、金を浪費する。
 
 よほど体力、金銭に余裕がないとできないことである。
 
 だからこそ、かつて人がこの無駄自慢にやっきになったのは当然のことであった。
 
 事実、この無駄自慢に勝利したものこそが勝利者になれるのである。
 
 ∧∧
(‥ )それを若者が
\−  むざむざ放棄するとは
    余裕がないってことですか
 
  (‥ )今時の若者は
      合理的なんだ
      としたり顔で言う人間も
      いるが
      そりゃあ嘘だ
      なにも分かっちゃいねえ
      合理的な人間なんか
      人間じゃないからな
      そんなものは動物だ
      しかるに
      若者は動物ではない
 
 なれば、放棄には切実な理由があると考えるべき。
 
 ∧∧
( ‥)もはや余裕がないほどに
    彼らは追いつめられていると
 
  (‥ )それは外見的には
      正社員の老人を
      保護せざるを
      えなかった結果の
      しわ寄せだ
      だが究極的には
      経済の停滞だなあ
 
 もちろん、そこには新興国に市場を奪われたから、という原因もあろう。
 
 ∧∧
(‥ )でもそこを取っ払うと
\−  電子化と
    なんでもコピーできる
    世界到来の影響が
    現れるだろう
 
  (‥ )無限にコピーできるものは
      値打ちを失う
      値打ちを失うと価値も失う
      すると人々は
      無駄に金を浪費することを
      止めてしまう
 
 経済は停滞し、余裕を失い、ますます人は浪費できなくなり、必然的に無駄を控え、経済は停止し…
 
 ∧∧
( ‥)ああつまり今必要なのは
 
  (‥ )新しい無駄だよ
      それも電子化できない
      ものだ
 
 ああん? するとあれか?
 
 ∧∧
(‥ )本は無駄の創出に
\−  失敗したんじゃないのか?
 
  (‥ )あるいは影響を非常に
      受けやすいかだな
 
 人体は脳にその全代謝の1割りから2割りを割いている。読書が脳をかなり酷使することを考えれば、低賃金、長時間労働の上に読書をするのは非常に危険だ。真っ先に切り捨てられるだろう。
 
 ∧∧
( ‥)そりゃ衰退するな
    じゃあどうする?
 
  (‥ )さてね
     どうしようかな?
  
 
  

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