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2013年2月2日土曜日

下り坂の人生で何をする?

 
 hilihiliのhilihili: 35のタイムリミット、40からの下り坂の続き
 
 
 ∧∧
( ‥)40をピークに、人は総合的な
     能力が落ちていく
 
  ( ‥)だから地位ある立場に
      つくわけだ。
 
 40過ぎたら、あとは自覚があろうがなかろうが下り坂。というと顔を真っ赤にして否定する人がいるけども、まあそれらはここでは論じない(自分は違うとか、こんな人がいるとか、そんな例外を列挙しても趨勢は変わらないし、精神論を言い出した時点で、話を認めたも同然だ。念じればフォークが曲がるのかい? お前は超能力者か?)。
 
 ∧∧
( ‥)学業卒業から20年以上、
    時代遅れになった自分の基礎を
    是正できるか?
    しかも仕事をしながら
    という問題
 
  (‥ )古い知識を新しい知識に
      書き換えればいいんだろ?
      とっ、思いたいところだが
      そうはいかないのが問題。
 
 新説!! シュメール文明を建設したのは日本人だった!!
 
 さあ、書き換えましょう
 
 ∧∧
( ‥)まあ、シュメール語はアジア系の
    言葉なんで、日本人の祖先が
    シュメール人説は昔から
    あるんですけどね
 
  ( ‥)そもそもシュメールという
    –□ 表記自体。
       日本人はシュメル人!!
       というトンデモ仮説と区別
       したくて、あえてのばした
       というからね。
 
 *本来はシュメルと読むのが元の読みに近いそうだ。シュメールとのばすようになった経緯については、例えば「シュメルー人類最古の文明」小林登志子 中公新書 2005 はしがきのviiiを参考のこと。「天皇のことを「すめらみこと」というが、それは「シュメルのみこと」であるといった俗説が横行した」という。
 
 だが、世の中の新説と称されるもののほとんどは、以上のような昔のトンデモ仮説の焼き直しであったり、あるいは有象無象のオレ様理論家が提案した駄目理論、論文と呼ぶにはあまりにも粗雑だがセンセーショナルで耳目を引く仮説、などである。
 
 これが現実。
 
 ∧∧
( ‥)その中に混じったまっとうな
    新説を選り分けねばならない
 
  (‥ )古い知識を新しい知識に
      書き直せばいいです。
      この考えの問題点は
      選別の基準が
      ないことなんだよね。
 
 例えば信じていないだろうか?
 
:カンブリア爆発は既存の進化論では説明できない特別な出来事
:進化は停滞と急激な変化を繰り返す
:地球では2600万年周期で大量絶滅が起こっている
:恐竜は隕石衝突の30万年前にはもう衰退していた
:インドのデカン高原は巨大隕石が衝突したことによって誘発された火山活動
:始祖鳥よりも古い、本物の鳥の祖先が発見された
 
 ∧∧
( ‥)全部、駄目仮説
 
  ( ‥)新しい知識に
    –□ 上書きすれば良い。
       そういっていた人が
       これらに飛びつくのを
       見てきたからなあ。
       *次の次の次の仕事は
       ある意味、なぜこれらの
       仮説が駄目なのか?
       それを示すことでもある

 
 新しい画期的な知識に上書きすれば良い。そんな考えでは駄目だ、というのがよくわかる(というか、容易に詐欺にひっかかる心理状態だよね)。
 
 
 ∧∧
( ‥)仮説を選択する、その基準が
    大事ですね
 
  ( ‥)例えばだ、新しい仮説が
    –□ 定着する過程では必ず
       議論が起こる。
 
 仮説を取り巻く議論、いや、議論の背景にある仮説の歴史、それそのものを把握する必要がある。
 
 考えてみれば、ぽっと出の完全に画期的な仮説などあろうはずがない。新しい仮説の前にはその基礎になった仮説があるし、仮説を提案する動機になった問題が存在する。
 
 *例えばの話、コペルニクスの地動説も、中心が地球から太陽に移っただけで、それ以外の部分は古典的で伝統的な仮説と、解決すべきと目された課題に沿ったものだった。しかも、その”伝統的に解決されるべきと目された課題”は、今から見れば”解決してはならない”ものでもあった。コペルニクスは1000年以上も続く伝統的な課題に取り組んだ人だった、そういうことでもある。それを根本から(しかも少なくとも当初はほとんど思いつきだけで)ぶっ壊したのはケプラーであって、コペルニクスではない。歴史的にコペルニクス的転換などなかったし、そもそも地動説はギリシャ時代からあった。
 
 *コペルニクス的転換、と安易に言う人は、慣用句として使っているだけで、歴史を把握していない、ということでもある。
 
 
 ∧∧
( ‥)仮説は単独では存在しない、
    とも言えますね
 
  (‥ )だから歴史を把握しなければ
      いかんわけよ
 
 そしてもうひとつは仮説を評価する基準、それそのものの妥当性。
 
 ∧∧
( ‥)仮説の歴史、そして
    選択基準の妥当性の把握
    これが大事だと
 
  ( ‥)問題はだな、
    –□ 新しい時代には新しい
       選択基準があってだな
       20年もたつとそれが
       変わったりしてだね
 
 
 あげくに仮説の評価方法が高度化して、自分のかつての学力では手に負えない状況に陥る場合もある。
 
 ∧∧
( ‥)どうすれば時代について
    いけるか、それ自体は
    分かるのだけど
 
  (‥ )その方法、それ自体が
      現在における、あるいは
      過去における自分の学力の
      限界の範囲外にある。
 
 
 こうして話は振り出しに戻る。それのみならず、人間は自分の学力に一生祟られ、人生は子供の時におよそ決定されていたことまで、今やあらわになったのだが、
 
 さてどうする?
 
 
       
 
 
 

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