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2013年4月30日火曜日

学校時代の挫折感を思い出すべき

 
 hilihiliのhilihili: つまずきの石を避けるには歴史を知らねばならぬの続き
 
 
 ∧∧
(‥ )そういえば微分積分の歴史を
\–   書いたこの本が私には
     理解できません
     だから星2つです、という
     書評ありましたね。
 
  (‥ )暗示的なものでさ、
      そやつの他の書評を見たら
      全部小説なんだよね。
 
 ああ、思うにですね
 
 小説ごときを読めたぐらいで、自分は賢いと勘違いしておりませんかな?
 
 ∧∧
( ‥)小説”ごとき”ね
 
 
  (‥ )小説を読むと賢くなる
      とか言う奴いるけどさ
      所詮は人造の娯楽だぞ?
 
 小説読んだぐらいで自分が賢くなった、だなんて、釣り堀で釣れまくったからオレ様は天才だ、大海原でカジキも釣れる! と言うようなものじゃねーの?
 
 ∧∧
(‥ )こういうことを言うと
\–   烈火の如く怒る人が
     いますけどもね
 
  (‥ )図星だからかい?
 
 ∧∧
( ‥)恣意的な解釈以上の
    返答を求めます
 
  ( ‥)否定したのは
      読書=脳に良い
      そういう公式だ。
 
 これを否定されて怒るということは、読書=脳に良い/賢い、という公式がそやつにとって大事なんだろう。
 
 ∧∧
( ‥)まあ、怒りというのは
    防衛的な反応ですからね
 
  (‥ )つまりそれが彼の
      よりどころなんだろ?
 
 単純に読書が好き、という人なら、別に賢くなるために本を読んでいるわけじゃない。「読書すれば頭が良くなると勘違いしてないか?」とか言われても、はっ?? としか思わないだろう。というかこんな台詞を言われる理由がないし、理由がないのなら狂った奴以外、こんなことを言う奴もいない。
 
 自分が賢い、という人もそうだ。もともと賢かったら、こんな台詞を言われても、それが自分のことだと受け取る理由がない。「ああ、そういう奴がいるね。僕の中学の同級生でも...」それだけだ。
 
 
 ∧∧
( ‥)本を読んでるオレが
    賢く、そして偉い、
    そう自負している人だけが
    怒るのだと。
 
 ( ‥)興味深いのは
   –□ 教科書を読んでいるオレが
      ではないことだな。
 
 
 教科書を読んでいるオレは賢い
 
 ではなく
 
 本を読んでいるオレは賢い
 
 になっているのは興味深い。
 
 
 ∧∧
( ‥)教科書は読まない
 
  (‥ )読まないけど、本は読める
      教科書を読んでいないけど
      小説は読める
 
 
 教科書を読んでいないけども、他の本を読んでいるオレは賢い。
 
 勉強のための本は読まないが、勉強のためでない本を読んでいるオレは賢い
 
 ちょいとおかしくないかい?
 
 
 ∧∧
( ‥)まあ、賢さの方向性が
    違うのだとも言えますね。
    小説を万冊読める賢さ
    教科書を読んで理解し、
    問題を解ける賢さ
 
  ( ‥)では、
    –□ 小説を読んだから俺は賢い
       お前は教科書を読めない
       でも俺は賢いはずだ
       お前勘違いしてないか?
       何を言うか!!
       自分の賢さにそこまで
       必死にこだわる理由は
       なんぞや?
 
 ∧∧
( ‥)解釈は色々ありうるでしょう
 
  (‥ )まあ、色々ありうるな
      例えば次のようにね

 
 教科書は分からなかった。学校の授業は理解できず、テストは自分が馬鹿だと告げていた。それでも小説は読めた。楽しい人造の娯楽でしかないが、整備された遊園地なら自分は人並み以上のものであるように思えた。ここでは自分は賢い人間だ。遊園地は授業の劣等感から逃げるためのものになり、学校を卒業してテストから解放されるとますます自分は賢くなったと思えたし、だから遊園地にますますのめり込んだ。しかし、そこは所詮はお客重視、ご都合主義の娯楽施設でしかなく、むき出しの自然に放り込まれると何一つできない自分がそこにいて、ああ、結局、自分は何一つ昔から変わることがなく....
 
 ∧∧
( ‥)まあ、そういう人も
     いるでしょうね
 
  ( ‥)最低限あれな、
    –□ 微分積分の歴史を
       読んで、
       私には分かりません
       と書くのはものすごく
       恥ずかしいことだよね
 
 恥ずかしいことだ。しかし、恥ずかしげもなくそれを書いてしまう時点で分かることがある。
 
 教科書が読めなくても小説を読めるオレは賢い。賢いオレが読めない本は駄目な本だ。
 
 病状が明らかに進行している。

 
 しかも勘違いしていないだろうか? 歴史は何千、何万巻と連綿と書き連ねられた書物みたいなものではないか。
 
 ∧∧
( ‥)第2500巻だけを
    読んでも全1万巻の
    全貌はさっぱり
    分からないように
 
  (‥ )1000巻から
      1500巻の概要解説
      という本を読んでも
      それだけでは分からん。
      1000〜1500、
      そのすべてではないに
      しても、10巻置きに
      50冊ぐらいは
      読むべきだろう?
      その本を読むための本を
      読まねばならぬ。
      これは摂理だよ。
 
 漫画だろうが、小説だろうがそうだ。上下巻の上だけ読んだらオチが分からん。下だけ読んだら設定が分からん。途中の2〜3巻だけ読んだら色々と分からん。
 
 すべてを知るにはすべてに眼を通さねばならぬのではないか?
 
 ∧∧
( ‥)あるいは最低限、必須な
    部分をひろい読みする
    必要はあるでしょうね
    サンプルを抽出し、
    全てを推し量るようにね
 
  (‥ )小説でさえ、読んだ本以外に
      その本を読むための
      読まねばならない本がある
      わけだよ。
 
 数学や科学の本なら余計にそうだと思わないか?
 
 私には分かりませんとはおっしゃるが、小説ごとき、人造の娯楽でさえも読むべき本を読むための本があるだろう。
 
 読むために必要な本を読まずに、この本を読んでも私には分かりません、とは、勘違いした上におかしくないか?
 
 病状が進行していないか?
 
 
 ∧∧
( ‥)つまるところ
 
  ( ‥)学校時代の挫折感を
      思い出すべきだな。
 
 
 あと、アルキメデスやニュートンをなめすぎ。
 
 
 

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