∧∧
( ‥)いかに?
( ‥)スプリッギナ、ディッキンソニアが節足動物に
-□ 類縁のある原始的な系譜であるという仮説は
現時点では優先して採用できる仮説ではない、ということで方針。
∧∧
(‥ )ほぼ左右対称、頭部と解釈できる部分がある
□- 体節と解釈可能な繰り返し構造がある。
これだけあれば節足動物と解釈されるのは当然ですけどね
(‥ )だけど節足動物、およびそれに類縁の系統群の
形質の分布と相性がいいとは言いがたいなあ。
というか、左右相称動物の中にいれることすら相性が悪そうだ。
∧∧
( ‥)というわけで現時点では不採用であると。
(‥ )紹介するに足るが、支持するには現状のデータでは
無理だよな、という判断かなあ。
まあ、物書きなりイラストレーターなり、どっちであれ科学の仮説を”判断”することには批判がある/ありうる。
だからこそだろうか、例えばこう言ったサイエンスライターがいる。
「サイエンスライターは新しい仮説を右から左へ紹介すればいいのである」
∧∧
( ‥)しかし、あなたはそれを認めないと
(‥ )というか、以上の意見はサイエンスライターや
科学ジャーナリズムの動態を説明できない。
そう考える。
新しい仮説を右から左へ。中立的な立場で私見を挟まず、曇り無き眼で見極めよ。
いかにもジャーナリズムの鏡のようであるが、実際にはこんなことを人間はしていない。というか出来ない。不可能だ。
∧∧
( ‥)何事にも判断や仮定、仮説、前提が入るのだと。
(‥ )そしてだな、新しいだけで怪しげな仮説や理論、疑似科学まで
世の中にはいくらでもあるんだ。
中立に、私見を挟まず。
それが
「いかなる仮説、仮定を持つこともなく「科学界の現状を申し述べ、記述できる」」
という主張ならば、
(‥ )まったくのたわ言だよ。
∧∧
( ‥)まあねえ。
例:アボガド星人が人類を創造した、という5分前に唱えられたばかりの新鮮な仮説を他の仮説と等価として扱ってよいか?
( ‥)だいたいな、「ライターは新しい仮説を紹介するだけである」
これが事実だとしたら、「なんでライターは馬鹿な仮説ばかり
紹介するのだ?」という批判が科学界に存在することを
説明できん。
∧∧
( ‥)まあねえ。どういうわけかサイエンスライターの紹介する仮説は
研究者やその周辺の人たちから見ると妙に偏って
見えるものですからね。
どう偏っているのかというと、
現状スタンダードでない仮説
受け入れられていない異説
ほとんど誰も知らないくらいマイナーな仮説(くだらないのでメジャーになれなかった、ということ)
将来有望になるとは思えない仮説
素人には大受けしそうだが教科書を読んだ人間からすると突っ込みどころが満載すぎる仮説
∧∧
( ‥)まあ、そんな有様だと。
(‥ )極端に言うとな、サイエンスライターってのは
「教科書をまんま」写せばいいんだよ。
右から左へ、私見を交えずなんて、そんな非現実的なファンタジーを述べているよりはまんま写した方がましだ。
問題は
∧∧
( ‥)問題は、どれが教科書なのか? ということですかね
(‥ )実はそこがむしろ問題でね。
さあ、ファンタジーなたわ言はどうでもいい。教科書とはなんだ? そしてどれが教科書だ?