自分を好きでない人が他人を愛せるでしょうか?
とはしばしば言われる。
∧∧
( ‥)他人を愛するにはまず自分を愛せよ、
そういう理屈ですね。理屈として成立するか
理屈自体に矛盾があるかないかは別として。
( ‥)逆いえばだ。
自分を切り捨てられるのであれば、他人を切り捨てることなど雑作もない
(‥ )とっ、言うことだな?
∧∧
( ‥)はあ、まあ、そうなりますかね。
自分を愛する、他人も愛する。
ははっ、そうですか。そうですか。
それはそれは結構なことですが、自分だろうが他人だろうが、無駄と分かったら切り捨てねばならぬ。
∧∧
( ‥)組織のため?
(‥ )いや、望みのため。
自分を愛する人間が他人を愛するというのであれば、それはそれは危険人物に違いない。そいつは自分のためにも他人のためにも、成果と望みを犠牲にするだろう。
自分を愛する人間なんぞ敵でしかない。そんな奴はさっさと踏みにじらねばならぬ。自分が大事な人間は引き潰さなければならぬ。
(‥ )成果が欲しいか? 望みが欲しいか?
ならば捧げろ、自己愛を。さすれば
他人を踏みにじることなど雑作もない。
∧∧
( ‥)まあ、そうでしょうね。
大丈夫、自分の苦痛もそのうちによく分からなくなる。
そうなれば、他人の悲鳴も苦しみも、ただの冗談にしか聞こえない。
問題はどこにもない。
(‥ )いや、問題が認識できなくなるのだ。
∧∧
( ‥)ちょっと病的ですね。
妥当な方法論と、世界を説明する妥当なモデル。望みをかなえるにはそれで十分か?
いやいや、その上さらに病的でないと成果なんぞ出ないだろう。