水槽のイソギンチャク。前にも書いたようにべちゃーーっと広がって2個体に。
∧∧
( ‥)複数になりました。
(‥ )いまやイソギンチャク'sです。
さきほどアサリを与えたら2個体とも食べて体がふくらんだ。さすがにちぎれたせいか個々の体は左右非対称。
∧∧
( ‥)分裂していく途中でも餌を与えたけども。
(‥ )胃袋から縦に分裂していっていたせいかなあ。
水槽のヤドカリがちょっかい出していたよね。
食べたあげくに分裂して、中身が出ちゃった?? 分裂途中では体の一部だけがちぎれかかったゴムのように、のびてくっついていたけども。ああいうのを見て思うに。
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( ‥)個体ってなんですかねえ?
(‥ )ちぎれた瞬間に各々が、さらに前とも別個体になるんだぞな!!と
力説していた人がいたよなあ。
ようするにこう。個体Aがぐにゃあーーーーっとのびて細くなって、そしてちぎれた瞬間に個体BとCになる。個体BはAではないし、Cでもない。それと同様、個体Cはそれまでの個体Aでもないし、Aから誕生したBでもない。そして個体AはBとCが誕生した瞬間に消滅した。そういう考え。
∧∧
( ‥)でも、それってずいぶん不思議な考えですね。
(‥ )そうねえ。
AからBとCが誕生する、でもその途中では”プチB+C個体(便宜的な名称)”になっているわけで。
∧∧
( ‥)ちぎれかかっている途中なんてまさにそんな
状態ですよね。
(‥ )個体ってのは結局のところ便宜的な概念だって
ことだな。
種が実在しないのと同様、個体も実在しない。
∧∧
( ‥)でも個体って言葉は使いますよね。
(‥ )そりゃあ便利だからね。
でも説明に便利であるからといって、そのカテゴリーが存在するというわけではない。
∧∧
( ‥)なんか科学哲学の話になってきました。
(‥ )まさに科学哲学の話であるなあ。
ここでふと思う。例えば前々から科学哲学者のエリオット・ソーバーは個体ではなく、もっと大きな集団にかかる淘汰。いわゆるマルチ淘汰を唱えている(よみがえる群淘汰とか言われることもある)。ようするに個体どころか種とか群が存在する、つまり個体(インディビジュアル)であるという考えで。
( ‥)あれを生物学者が言っていたら、ふーん、なんだけど
科学哲学者が言うと、へー? なんだよな。
∧∧
( ‥)説明できているから存在するのだ、ってのは
それは科学哲学としてどーよ?というわけですか。
それもそうだけども、そもそもソーバーたちの議論は何の役に立つわけ? というわけで。
(‥ )それを考えると、あれ面白いよね。
∧∧
( ‥)そりゃあ、あなたは生物学者じゃないですからね。
生物学者たちは、あの手の議論にとくに興味はないらしいし、研究に役立つとも思っていないらしい(たぶん、だから興味がない)。
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( ‥)役立つならとっくに使っているんでしょうね。
(‥ )ハミルトン革命と言われるような例もあるように
使えると分かったら、圧倒的なインパクトを
持つだろうなあ。
存在とか実在ってそれは何で、どう推論すべきもの?