人間を個々の要素に分けて、とりあえず理解し、そしてその動きを機械的に記述しようとすると反対する人たちがいる。曰く、こう。生物も人間も機械的には記述できない。
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( ‥)その根拠は?
(‥ )さあ?
昔、こんなやつがいた。機械では芸術は再現できない。根拠はと問うと。再現できないから、だった。
機械的に記述ができないのなら、そりゃあ機械的に再現するのは不可能だと答えるだろう。
しかしつまるところ、この手の人々がいうのは「機械的に記述できない理由。それはできないからなのだ!!」という、これだけ。
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( ‥)つまり根拠不明であると。
(‥ )できるって言う方は根拠があるんだけどね。
これまで人間や生物の動態や生態、行動を機械的に記述できたことが幾つもある。だからこれからも記述できるだろう。
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( ‥)でも、それは「人間非機械論者」からすれば
飛躍があると思われるのでは?
(‥ )帰納的な推論なんだ、という意味では飛躍だね。
逆にいうとこう。「人間非機械論者」(便宜的な名称)は論理と演繹だけで主張を展開しているのではないのか?
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( ‥)確かに、、、、人間は機械的に記述できないのだから
機械的に記述できないのだ、、という主張は。
(‥ )論理的ではあるだろ? 矛盾もないし。
ただ単に、意味がないだけ。
反対に機械的に記述できるとした場合、色々とすでに分かっていることがある。例えば人間は同じ製品としては生産されていない。
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( ‥)色々な遺伝子が離合集散していますからね。
(‥ )一律に同じ反応をするものとしては
できていない集団なのだ。
人間は可能な限り均一にならされた実験動物ではない。
平たく言うとこう。一律に反応する大量生産品でない以上、人間を実際に扱う時には必ず平均ではない反応が出てくる。
逆にいうとこう。例えばの話、教育をちゃんとすれば異常犯罪が防げるはずだと言うのは、まあ、たぶん間違い。
(‥ )少なくともあれなんだよな。
人間は工業製品みたいな規格品である。
こういう前提がないと教育と異常犯罪を結びつけたりは
しないだろう。
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( ‥)はあ、まあそうかもしれませんね。
人間を機械的に記述できない。そういう人たちが実のところ人間を工業製品と同等、規格統一された品物のように扱うのは、なんとも奇妙ではある。
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( ‥)でも矛盾はないのかもしれませんね。
(‥ )まあないのかもね。
人間は機械ではない。人間はどれも同じである。誠意をこめて話せば人間は必ず理解できる。どんな人間も矯正可能である。教育さえちゃんとすれば問題を起こす人間は発生しない。問題が起きるのは教育に欠陥があるからである。人間に問題はない。なぜなら人間はどれも同じものだからである。
なるほど、これらの主張に矛盾はない。
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( ‥)でも無意味でしょ?
(‥ )無意味だね。