先日、こんなことを聞かれた。マスメディアは伝える力がだんだんと衰えてきているのではないか? これをどう思う。
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( ‥)でっ、なんと答えるんですか?
(‥ )責任をとるリスク。リスクを犯さない場合に
手に入れられるはずの利益。これらを計算した場合、
事なかれ主義という選択肢が最適であるのなら、
当然、大部分の人は事なかれ主義に流れるだろう、そしてそれは
(‥ )単なる現実だ
∧∧
( ‥)でも理念はどうなるんです?
理念。これが問題。そしてこれが難しい。かくあるべし。言うのは簡単。実際、だから誰もが理念を語る。理念はしかし、それ自身は単なるスローガンであり、それは現実そのものではない。
例えばねずみ講とかマルチ商法は現実を説明できない破綻した理論か仮説であって、それはファンタジーでしか成立しない。そんなもの、黒魔術と同じだ、おんなじ。
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( ‥)マルチ商法なりねずみ講なりと、
科学が両極端であると仮定した場合、
(‥ )ではメディアはその両極端の間のどこにいるのか
あるいはいるべきか?
だが困った、どこにいるべきか、という理念、それ自体はファンタジーとどこが違う?
(‥ )あるいはこう、メディアはかくあれかしという理念は
それ自体ではファンタジーと区別がつかない。
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( ‥)かけ声だけでは現実なのか、そうでないのか
わからんということですか?
(‥ )どーすればいい?
どこにいるべき、という答えを与える理念の
それ自体の妥当性はどこにある?
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( ‥)理念をとりあえず無視して別の何か、
何らかの具体的な作用や現象を考えればいいんじゃないですか?
例えばこう
:ねずみ講は悪いことだ
これ自体ではただのスローガンで意味がない
:ねずみ講は破綻した理論や仮説であり、そしてこれによって不利益を被る人間がしばしばいる。あるいは利益を上げる人間もいる。そしてかつまた人間は抜け駆けしたり、他人を騙して利益を上げる個人を排除しようとする性質がある。
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( ‥)ふーむ、まあ、くどくどしい言い方だけど
具体的になりましたね。
(‥ )だからねずみ講とか、あるいはマルチ商法は排除される。
排除されるのはそれらの理論や仮説が破綻しているから。
( ‥)ここではじめてねずみ講の禁止ウンヌンと現実に
リンクができた。
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( ‥)禁止、排除、監視される理由はこれだってことですね。
ではメディアはどう理解されるわけですか?
例えばこう。「あるある発掘大事典」はくだんの問題で排除された。つまり観察するにこう。メディアはたとえそれが娯楽番組であっても現実を無視したことを言うことはできない。
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( ‥)先と同じ理由で説明は可能?
(‥ )いや、それが難しい。
あの事件の場合、被害者がいたのか? と
問われれば、多分いないだろ?
少なくともマルチ商法とかねずみ講の問題とか、そういうのとは違うよなあ。そもそも”あるある”も、聞けば”データの捏造”が問題なのであって、
(‥ )例えばさ、あんた地獄に落ちるよーとか
霊が見えます〜〜〜っと番組でいっても
罪には問われない。
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( ‥)捏造でなければ、あるいは捏造と認識されることを
言わなければテレビはオッケーだということですね。
考えてみればそもそも社会自体がそうできている。占い師は街角で逮捕されたりしない。
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( ‥)法律が現実をある程度反映して作られたものであるのなら
(‥ )メディアは最低限、法律の範疇内部にいれば
とりあえずオッケーだということかな?
いや、そうではないよねえ。例えば新しいタイプの事件が誕生すると、新しく法律を作って取り締まる必要が叫ばれる。ようするに法律は現実ではなく、現実こそが我々に影響力を行使する。
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( ‥)ようするに法律うんぬん以上に
現実をちゃんと説明しないものは
排除されてしかるべし、ということですか。
(‥ )排除されてしまうということだね
でもメディアの世界はこれよりも
規制はゆるいと思う。
事実、テレビでも新聞でも占いとか怪しげな健康法とかが掲載されることを考えると、現実を”一応”説明しており、なおかつデータの意図的な捏造がなく、無害であれば問題ないらしい。
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( ‥)そこは科学とずいぶん違うところですね。
(‥ )説明するだけじゃだめだし、
データの質も解析の質も求められるし
そうでなければ無害であろうがなんだろうが
排除されちゃうからなあ。