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2016年8月21日日曜日

考えて分かろうとは死ぬことと知るべし

 
 
 生きることは不自然であまりにも労力を使うために、人間は現実逃避をするようになった。
 
 ∧∧
(‥ )小説やゲームは
\−  現実逃避のために
    作られ消費されるし
    おっさんが世界を
    分かったかのような顔で
    論評するのもそのせいである
 
  (‥ )分かった、というのは
      あれは手抜きだからな
 
 手持ちの知識を適当に組み立てて”分かった”を完成させる。一見すると脳を使っているようだが、一回”分かった”を組み上げると、人間はその分かったを死ぬまで改良せぬままに使う。
 
 ∧∧
( ‥)要するに分かったとは
    手抜きなのである
 
  (‥ )手抜きをするために
      人は考えるのだ
      考えて分かってしまえば
      調べる必要が
      もはやないからな
 
 そして調べることには大変な労力がいる。それを踏まえれば、考えて分かった、ですませることが手抜きであること明白。
 
 そしてなぜ手抜きをするか? これも明白だ。
 
 ∧∧
(‥ )脳は全新陳代謝の
\−  2割前後を消費する
    器官である
 
  (‥ )生きることが苦痛で
      ある以上
      考えることも苦痛だ
      だが調べる苦痛に比べると
      考える苦痛の方がましだ
      だから考えて
      分かってしまうことを
      人は選ぶのだな
 
 つまり、考えて分かってしまう、というのは手抜きであると同時に、生きる際の負荷を最低限度にする人体の工夫なのだとも言える。
 
 ∧∧
( ‥)つまり人体が
    自ら位置エネルギー最低状態へ
    下降しようという試みである
 
  (‥ )要するに
     考えて分かってしまう人間は
     生きる工夫を実行する一方で
     実際には死にかかっている
     わけだな
 
 つまり、考えて分かろうとするとは、死ぬことと知れ。

 
 ∧∧
( ‥)??? つまり??
 
  (‥ )リベラルが頑固で
      同じことを反復するのは
      あれは死んでるからだな
  
 
 それは、”分かった”という楽をした報いである。
 
       
 

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