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2016年3月10日木曜日

この宇宙は、罪を選んだことを許してくださる

 
 以前、書評を延々と書いている人を見た。書いている内容からするとガンに犯されたようだった。

 体内内部で起こる自然淘汰と進化によって、多細胞を個体たらしめていた秩序が必然的に崩壊する現象。それがガン。

 
 それを知ってか知らずか、彼が書いた書評は、いわば泣き言であった。本人は仏教の教えを守って生をまっとうしようする行為のつもりであったようだが、実際には生きようとする欲望のために現実をねじ曲げる嘘の塊としての書評であった。
 
 魂と霊を肯定し、それにそぐわない本を否定し続ける。
 
 それは巨大な泣き言と虚言。
 
 ずっと忘れていたが、たまたま見つけて、そして更新が何年も前に終わっていたことを知った。
 
 ∧∧
(‥ )...ついに機能を
\‐  喪失しましたか?
 
  (‥ )さあねえ?
 
 
 彼のしたことは罪であったか?
 
 ∧∧
( ‥)どうよ?
 
  (‥ )自己欺瞞のために
      事実をねじ曲げ
      死んでもなお
      それを皆の前に残した
      それは罪だろうな
 
 インチキ医療本と同じではないか。それはまぎれも無い罪である。
 
 ∧∧
(‥ )お前も苦しんで死ぬ
\‐  その時が来たら分かる
    そう言われるでしょう
 
  (‥ )金欲しさに強盗殺人して
      死刑台に送られる奴も
      同じことを言うぞ?
 
 それにそもそも、これは良い、悪いの問題ではない。

 いかに恣意的に物事を解釈しても現実の進行は止められぬ。歯車に押しつぶされる自分が歯車の非道を言い立てても、歯車には非道もなにも、そんなものが無い。
 
 現実はお前の解釈じゃない。
 
 もしも現実がお前の解釈だというのなら、それだったら宇宙の歯車に押しつぶされても死なぬはずだが、実際には死んでしまうではないか
 
 世界が神経の作り出す幻想だというのは間違いだ。
 
 あるいはこう言えば良い。世界を認識する時、我々は現実を歪めて編集する。
 
 これは曇りガラスや波打ったガラスから風景を見るようなもの。見るものは100%本来のままではない。それは事実。
 
 しかし、だからといってすべてが幻と言うのなら、それは100でないなら60も0であるという虚言。
 
 かように、魂と精神の自由など、許されざる自己欺瞞にすぎぬ。
 
 ∧∧
(‥ )凍りついた固体でもなく
\‐  無秩序な気体でもない生物は
    それゆえに不安定で
    うつろう存在になった
 
  (‥ )うつろうものはいずれ
      どちらかに転ぶ
      生は死のひとつの
      形式にすぎぬのだ
      我らはいずれ死に帰還する
      その本来の姿である
      二酸化炭素と水へと
      崩壊するのだ
      これがこの世界の理
 
 
 凍結とガス化の間でゆれつづける炎が命であるというのなら、ゆれの大きさで、いずれはかき消えるのが道理であろう?
 
 そして人がガンで死ぬのもまた当然であった。多細胞とはつまり多数の細胞。それらが相互作用することで一体化しているが、所詮、まやかしのようなものである。
 
 人間は個体として自分を自覚しているが、実際には個体などまやかしで存在せぬ。存在しないものが存在しているふりをしているだけなのだ。
 
 ∧∧
( ‥)存在しないものは
    いずれ非存在へと
    回帰するであろう
 
  (‥ )よくさ
      自分が死んだ事を自覚して
      霊が消滅するって表現が
      創作や都市伝説にあるだろ
      あれは実のところ
      俺たち生者自身のこと
      なんだよな
 
 最初から多細胞の個体などまやかしだったのだ。

 なれば、いずれ時が来た時、そうか、俺は実在しなかったのか...そうつぶやいて消滅へ帰還するのが当たり前であろう?
 
 そうであるのに、己が存在に拘泥して、現実をねじ曲げ、本を恣意的に解釈して、これはこうだ、これは違う、世界は唯物的なものではなく心と魂と美しさとが...などと述べよる。

 なんという虚言と煩悩への妄執か。
 
 それは罪である。
 
 ∧∧
( ‥)お前も死ぬ時になったら
    分かるのだ
    そう言われるでしょう
 
  (‥ )そりゃそうさ
     それに俺は救いを述べている
     わけじゃないぞ
 
 現実は人を摩耗させる。そして夢という救いはそこから目をそらすのみ。

 なれば人はインチキ医療で殺されるか、絶望の中で世界を呪って死ぬか、どちらかしかない。

 事実、人間は死を回避するように危険信号として体が苦痛と恐怖を発し、感じるようにできている。

 死は体の崩壊だ。だったら全身が苦痛と恐怖で満たされるが当たり前ではないか。

 そうできているんだからそうなるし、そもそもこれこそが生きるという仕組みであった。
 
 生を良きものと断じたことがすべての間違い。
 
 
 ∧∧
(‥ )個体が苦痛と恐怖で
\‐  崩壊しても
    主である生殖細胞は
    そんなことどうでもいいからね
    自己複製さえできれば
    それで問題ない
 
  (‥ )かようにこの世界は
      人間を苦しめて殺すように
      出来ている
      そしてこれが命と生の
      必然でもある
 
 だから人には選択肢がある。
 
 自分は幸せだと虚言をはきつづけてのたうち回りながら死ぬか。
 
 絶望して世界を呪いならがらのたうち回りながら死ぬか。
 
 さあ、どちらを選ぶ?
 
 ∧∧
( ‥)そして罪深いのはどちらか?
 
  (‥ )罪を選んでもかまわんのだ
      この宇宙は寛容だぞ?
      罪を選んでも
      地獄など存在しないからな
 
 
 ゆえに罪を選んだことは許されよう。


 だが、罪、そのものは罪である。
      
 
 

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