ニセ科学という言葉がある。
ニセ科学批判、という言葉もある。
ニセ科学批判批判という言葉もある。
∧∧
( ‥)ようするにあれでしょ?
AとBによる否定の応酬ですよね?
(‥ )Aは言った。Bは駄目
Bは言った、Bが駄目というAの主張は駄目
Aは言った、Bが駄目だというAの主張が駄目という・・・
以下略。
∧∧
(‥ )物事の妥当性に科学を持ち出すことに対する
\- 批判(というか反論)の中には
お前達の主張は科学教だ!!、っていう揶揄もありますね
(‥ )まあ、ありがちな反論だろうし、
意味のない単語であるんだろうな。
:「この薬に効果があるという結果は既存の検査方法では得られませんでした」、という主張は科学万能主義だ
:論理的であれば科学であるというあんたの主張は科学というよりは神学だろ?
∧∧
( ‥)以上の2つの主張は、どちらも相手の考えが
宗教ではないか、という批判ですね。
(‥ )でも等価じゃないよね?
前者は脳みそがくるくるっぽいし、
後者は当たり前なことをいっている。
科学教って言葉はあまりにもいい加減すぎて使えない。
∧∧
( ‥)ニセ科学批判やニセ科学批判批判に必要なことって
なんでしょうね?
(‥ )ニセ科学っていうカテゴリーの放棄じゃね?
ニセ科学という言葉自体はあまりにもあいまいで、それ自身では意味がない。
例えばの話。
(‥ )ニセ自動車って単語に意味あると思う?
∧∧
( ‥)欠陥のある自動車という意味ですか?
欠陥車、ということですかね?
(‥ )不具合があるからリコールします、という場合は
欠陥車ってことになるのかな?
構造的にこれ以上は性能が上がらない設計の
自動車も欠陥車かね?
∧∧
( ‥)状況によりけりだと思いますけどもね。
単語をどう定義するのか? という問題はまあ、そんなに大事なことではないと言えば大事なことではない。単語の定義がうんぬんよりも、”これこれはこういう性能です”、”これこれはこういう状況下でハンドルの効きがこの程度、悪くなります”、”構造上、ものっすごい燃費が悪いです”と言えばいいだけで。
(‥ )何がニセ科学なのか? という議論は必須じゃないんだよな
ニセ科学とかニセ科学批判、批判批判とか、
ニセ自動車とか欠陥車という言葉と同様で、
その言葉自身に頼る必要はない。
∧∧
( ‥)ニセ科学とか、批判、批判批判という言葉は
くくりがでかすぎると。
あるいはこう? 使ってもいいけども、そんないい加減な言葉ではなく、より詳細に状況を述べることができなければ、
∧∧
( ‥)使う意味はないだろうと。
(‥ )この車は欠陥車です、その理由は
1:私が買う気にならないデザインだから
2:10万時間乗ると、ブレーキの効きが他の会社の車よりやや落ちるから
3:1000時間でハンドルがとれます
∧∧
( ‥)まあ、普通、1の意味で使う人はまずいないと思いますけどね
2は微妙?
(‥ )いないだろうけども、欠陥車、とか
ニセ自動車という単語自身では1、2、3は
区別できないだろ?
たいそうな単語を使うのはかまわないけれども、使うには、使う前にそもそもその状況を詳細に述べられなくては意味がない。
( ‥)ついでにいうとさ、理由の説明も
意味がないんだろうな。
∧∧
( ‥)なにゆえ?
(‥ )以上の1、2、3はそれぞれ主張する人にとっては
十分な理由であったわけだよね?
∧∧
( ‥)そりゃあそうでしょうね。
(‥ )でも、理由の説明を聞いて、他人がどう思うか、
いや、あるいは「どうなるか」に影響を及ぼすのは
理由ではなくて「状況」の方だろ?
∧∧
( ‥)まあ、確かに1000時間でハンドルがとれるからといって
欠陥車ではない。そう主張したところで、その車に
乗れば、事故の確率は信念や言葉の定義と関係なく、
格段に増えるでしょうからね。
意思決定がどうであったかは関係ない。”意思決定の結果”に影響力を及ぼすのは「判断の理由」ではなくて、「状況」。
∧∧
( ‥)誰かがこう思った、という理由はどうでもいいと。
(‥ )こう思った、感じた、ということも、
その理由もどうでもいい。
状況
人間は質が同じではない。だから「その状況」から「私がこう思いました」ということや、「私がこう思った理由はこれこれです」という説明はどうでもいい。
∧∧
( ‥)人間の質が同じではないから、主張自体の質も
同じではないと。
(‥ )処理の質が保証されていないわけだろ?
はっきり言っちまえば
「思った、感じた、理由はこう」なんて
なんの保証にもならんのさね。
そのままではアメリカドルなのかジンバブエドルなのか分からない。
状況、それは詳細に説明できるか? そしてそれは現実の裏付けを持って流通できるか?
∧∧
( ‥)ニセ科学批判、ニセ科学批判批判
(‥ )その状況にどんな名称を与えるのかは認識の話。
言葉の定義と認識の話は、それ自身では信用できる貨幣にならない。流通させてもいいけども、そのままだときっと大暴落。