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( ‥)情報の伝達に齟齬?
(‥ )あるいはこう言えばいい?
Aさんが話した内容と、Bさんが理解した理解のあり方に相違点がある
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( ‥)伝えようとした事柄と理解したと思っているその理解のあり方には
絶えず相違点があるでしょう?
(‥ )伝えようとした事柄と、受け取った理解を比較した時、
全体の1割が違うのか9割が違うのか
相違の量がいかなる場合にも同じというわけでも
あるまいよ。
文章がひとつでも、それを受け取った複数の理解がありえる。そして、それぞれの理解をオリジナルと比べた場合、それらのすべてがオリジナルから等距離にあるわけではない。
( ‥)とはいえ、相違点のすべてが等価だってわけでもない
のだろうな
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( ‥)例えば?
地球は太陽の周りを回っています。その軌道はほとんど円ですが、わずかに楕円で、太陽に近い時には速く、遠い時には遅く動きます。
理解1:地球は太陽の周りを円を描くように回っています
理解2:地球は太陽に近いと速くて、遠いと遅くなります
(‥ )以上の文言の通りに理解してしまった場合、
どっちの理解がいいと思う?
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( ‥)1じゃないですかね?
駅にいくには、突き当たりを左にいってそのまま道なりまっすぐ300メートルほどです
理解1:突き当たりを左にいけばよい
理解2:突き当たりを右にいってそのまま道なりまっすぐ300メートル進めばいい
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( ‥)相違点の数だけで理解の良し悪しを判断することは
できないと
(‥ )相違点、それ自体は少ないのに
致命的な勘違いってあるからな。
反対に、その説明を現実と比べた時、相違点が山ほどあるからといって、その説明が役立たずなわけではない。例えばの話、自然現象は複雑で、でもそれを記述する理論はおっそろしく単純(例:人間の子供は大きくなります)。しかしそれゆえに役に立つ。
∧∧
( ‥)その単純な理論の”要”を伝えることに
失敗すると致命的と。
(‥ )人間の子供は同じ年齢でも大きさに違いがあり、
身長が同じでも体重が異なる場合があり
家庭にとっても違う場合があり、因果関係は
複雑で・・・・
ゆえに人間の子供は単純に大きくなるわけではない。
というのは文章としては受け取り方にもよるが正しいと言えば正しいし、現実を記述していると言えば記述している。
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( ‥)でも全然役に立ちませんね。
(‥ )理解する側の問題もあるが、このように
伝える側の問題も当然ありうる。
まあ、問題の根幹は同じなんだけども。
そこをそう理解しては致命的だ、ということもあり、そこをそう伝えては致命的だ、ということもある。
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( ‥)その肝心要な部分を
(‥ )誤解しにくいように明言するのがライターとかの
最低限な仕事だとも言えるかもね。
もちろんそんなことをする義務があるわけではないが。
*ジャーナリズムは真実を報道することこそ使命であると言うのは勝手だが、それで報道の妥当性が保証されるわけではもちろんなく、そんな淘汰圧はさほどかかっていない、ということ。
かつまた、
誤解しにくいような明言が誤解を招かないわけでは、もちろんない。
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( ‥)誤解しにくかろう、という程度で十分だと。
(‥ )何をいっても誤解する人間がいるのが現実だから
現実的な情報伝達は誤解0を想定してはいけない。
誤解0は非現実的
正しい文章を構成するすべての部分は等価ではない
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( ‥)肝心要を誤解最小限に伝えよ
(‥ )でも、それすらできないことがあるのだね。
その理由は様々で、その議論はしない。
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( ‥)まあ、齟齬がある、という事、それら個々の事象は
各々個別ですからね。
( ‥)個別の原因はそれぞれ個別。