∧∧
( ‥)つまり?
(‥ )ようするにだ。
分からせるためには”分からせよう”という意図を放棄するべき。
∧∧
( ‥)理由の1つは”分かった”があまりにもいい加減な言葉なので
基準になりえないからであると。
(‥ )理由の2つ目はそもそも分かろうとする
理解しようとする人には、分かりやすい、理解しやすいが
意味がない、といえばいいかなあ。
A群:考えずに話を鵜呑みにする(考えないが、C群の話を鵜呑みにするのでB群よりまとも)
B群:鵜呑みにせずに考えるが、妥当な結論に到達できない(オレ様理論とトンデモ、疑似科学と物書きの故郷)
C群:自力で解答に到達可能(科学者とかのこと)
割合はA>B>C
( ‥)このモデルで考えた場合、考える人間は
B:無駄に考える
C:教える必要はない
の2種類。”考えること/理解すること”を教える必要は
どちらに対してもない。
∧∧
( ‥)間違った考えに到達してしまうか、
自力で到達できるか、その2つだからですか。
でも、これはあなたのモデルですよね?
このモデルが正確であるという保証はありますか?
(‥ )モデルが正確である必要はないんだよ。
ざっくりと役立てばいいのさ。
ABCの3つに人間を区分するというのは
せいぜい天動説なのかもしれない。
∧∧
( ‥)でも天動説とて役に立っていた時期がある。
だから役立つ間はそれでいいではないか、
そういうことですね?
ざっくり言うとこう。
1:温暖化嘘じゃね? 怪しくね? ホメオパシーってなんか体によさそう。
2:二酸化炭素の増加と平均気温の上昇に因果関係があること、ホメオパシーが妥当でないこと、どちらも論証できる
(‥ )その割合って明らかに1>2だよな?
∧∧
( ‥)まあねえ。確かに懐疑論や怪しげな異説に飛びつく人は
妥当性で勝利した仮説がスタンダードになっていく過程を
理解できて説明できる人よりも少ないでしょうね。
ようするに1はおおむねBに対応し、2はCに対応する。
つまり、懐疑論者>論証できる人、であって
(‥ )懐疑論者は敗北をさとると沈黙するだろ?
でもさ、あれって自分がなぜ負けたのか
理解できていると思う?
∧∧
( ‥)あー、うー、どうでしょうねえ。
はっきりしたことは分からない。
だけども、
妥当な仮説をただ懐疑しただけの人間がいきなり妥当な仮説の妥当性を理解できる、というのはなんとも奇妙に聞こえる。
∧∧
( ‥)まあね、奇妙でしょうね。
(‥ )妥当な仮説が間違いではないかと理解した人間が
妥当な仮説の妥当性を理解するとはこれいかに?
まあ、というわけでこう、ざっくりと考える。
考える人間に伝えるべきことなど何一つない。無駄か必要ないかどちらかだから。
∧∧
( ‥)言っても勘違いするか、あるいは言わなくても
分かるから。
(‥ )だから考える人間のことは無視してよろしい。
それは効果がないに近似。
∧∧
( ‥)でもあれでしょ? 考える必要も仮説を比較する必要もないのに
考えることや、仮説が比較される過程を書くことはできるし、
その効果は、、実のところ0ではないわけでしょ?
(‥ )そうだね。
∧∧
( ‥)じゃあ、例えばですよ「仮説Aが勝利した過程は
なるほどこういうことかー」と比較の有り様を理解した読者が
いたとしましょうよ。
(‥ )はいはい。
事実、そういう人たちが0である、ということはない。
∧∧
( ‥)その人たちはどっからくるわけ?
(‥ )さあ?
∧∧
( ‥)・・・・
(‥ )まあ聞きなさい。
:読者になりうる人間を3つのカテゴリーに分けるのは”販売する”という目的でざっくりと設定したもの。
:その結果、分からせるを放棄せよ、妥当なことを鵜呑みにさせれば良い、という選択肢が妥当であるとされた
:つまり、本を書くにあたって仮説の妥当性を説明する必要は実のところ最小限度以上にはない
:しかしそれでも”妥当性が論証されていく過程”を書く自由はある
∧∧
( ‥)その自由を行使した場合に効果は実際には0ではないと。
(‥ )先のABC群の考えでは0になるんだけどね。
実際には効果は0ではない。
∧∧
( ‥)モデルが現実を記述し切れていないのでは?
(‥ )そりゃそうさ。現実を正確に記述できるモデルなんて
そんなものありゃしないよ。
あるとしたら、かまととぶった阿呆の頭の中だけだろう。
∧∧
( ‥)ようするに? 0でなかった効果は
あなたのABC群モデルでは誤差のレベル?
(‥ )そうじゃね? センチ単位しか
計れない物差しではミリは分からない。
∧∧
( ‥)でも、その誤差にこそ興味があるんだと。
(‥ )ぶれや誤差に何が含まれていると思う?
時に、それは突破口になる。