疑似科学を信じる人は思いつきとデータとの間にある誤差を無視する。あるいはこう、仮説とデータの誤差が大きくてもそれに頓着しない。
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( ‥)だから経験的なデータを使用しない、
つまり無視すると。
(‥ )いやむしろこう考えるべき
誤差がでかくなってもそれに頓着しないので、
結果的にデータが思いつきに影響を与えない。
これはようするに”より妥当な仮説”、とか、あるいは新しいデータを提示されても彼らはそれを無視することを示している(例えばつまり最初の思いつきが反証されることはない)。
つまりこういうこと。
疑似科学だろそれ? と評価されるような仮説に執着する人間は研究者や院生の言うことなど聞きやしない。
例えばこんな実例
:研究者/院生その他いろいろな人からここがこう間違っていますよ、と懇切丁寧に教えられてもそれらを全部無視する/あるいはそれを曲解する
(新しい知識が彼の最初の思いつきに影響を与えていないという実例)
:自説が受け入れられないのは科学者が保守的であるからだと主張する
(自説が受け入れられないのは自説が間違っているからではないと考えているから)
:あきれて研究者が無視すると、ははーん、相手は俺様の意見にぐーの根もでないのだな、と解釈する
(これは某サイエンスライターの実例/あれにはさすがにあきれた)
∧∧
( ‥)そういえばそんな実例が幾つもありましたね。
( ‥)この手の話は枚挙にいとまがなく、そして
結果はいつも同じなんだなあ。
いかなる知識、論文、成果も彼らの意見に影響を与えない。
ようするにやはりこういうことでもある。
現実との誤差がいかに増えても彼らはそれを無視する。
∧∧
( ‥)ようするに事実をつきつけて彼らの考えを
変えさせることは不可能なんですね。
(‥ )誤差がでかくてもかまわないと考えるから疑似科学に固執するし
誤差がでかくなってもかわまないと考えているから
論文を無視するのさ。
ようするにこう
言われて理解するような頭だったらそもそも得体の知れない仮説に固執したりしない。
言い換えればこう
誤解を自身で是正できない人間は、言われてもそもそも理解するわけがない。
あるいはこう
論文も読まず、教科書も読まず、英語の辞書も引かず、孫引きの劣化した情報を適当に集めて作った思いつきを大事にするような人には、何いっても無駄なんじゃない?
∧∧
( ‥)つまり研究者が疑似科学を信ずる人を
説得することはできないってことですね。
(‥ )実際、事実として無理であった。
理解するようだったら誤解しない
疑似科学に固執する動作と、人の意見に耳をかさない行動はたぶん、起源と動機が同じ。