ふと思い出したこと。もう何年か前になるけども、ネットをうろうろしていたらこんなことを見つけた。北村という人の文章は分かりにくい、私なら彼のこの文章をこう書く。そう提示された文章はなるほど確かに分かりやすくなっていたのだけども、、、
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( ‥)でも、意味が原文と真逆になっていたんですよね
(‥ )そうねえ、おいちゃんの文章がそれほど分かりにくかったのか
文章力はともかく相手の読解力に問題があったのか、
あるいはその文章を見たおいちゃんの理解力に問題があったのか。
いずれかそれぞれか、あるいはどれもであるのか。ともあれ言えることがある。ようするに分かりやすいということは分かったことの内容の妥当性をまったく保証していないってことなんだけども
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( ‥)まあ、前々から言っていることですね。
(‥ )そうねえ、例えば地球は平らという考えは直感的にすごく
分かりやすい結論だけど、結局、間違っていたからなあ
マルチ商法も”騙された人”は最初は分かった、理解したと思っている。いや、分かったと思ったことが間違っていると後から分かったわけで
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( ‥)分かった、理解した。あるいは分かりやすい、
これらは全部、内容が正しいかどうかは
保証してくれていないということですね。
(‥ )分かりやすいって免罪符にはならないんだよね。
あるいはこう? 分かりやすいは免罪符である。免罪符が神というあるかないか分からないが取りあえず”ある”と前提したものに基づいて内容が保証されているように、分かりやすいは分かりやすいということで内容が保証されているとして発行されている。
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( ‥)でもそれは保証されているとは言いませんよね?
(‥ )保証されているけど、それはトートロジーかなんかじゃねーの
というべき?
つまるところ免罪符も分かりやすいも内容はまったく保証されていない。あるいは保証の意味が経験的にない。
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( ‥)言い換えればこうですね。
マルチ商法の場合、経験的に騙された!!と
気づいたわけですよね?
(‥ )分かったと思ったことが結局分かっていなかったと
経験的に気づいたってことかな。
もっとも、損をしたから騙されたと結論しているらしいことからすると、最初の理解も”得になる”という程度のものだったらしいことがうかがえる。
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( ‥)まあ、でも、それも理解であるし、
分かった、ではあるんですよね。
(‥ )端から見ていて、あんたそれ騙されているよ、
そんなの分かったとは言わんよ、と言ってしまえるとしてもね。
本人は分かっているわけだ。端から見ていると妥当でないというだけで。そしてつまり、分かったとか分かりやすいとか、そういうことは妥当性を論じるさいにおいてはどうでもいいことである。
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( ‥)分かったと妥当性。この両者の間に関係がないからですね?
(‥ )そう思うとマルチ商法と被害者って理解しやすいよね。
ライターと読者と疑似科学の流行もメディアが科学をまるっきり扱えないのも、こういう枠組みなら理解しやすいということでオッケー?