例えばの話、知識をとにかく聞きかじって(こういうのは調べたとは言わない)、集めた知識をぺたぺたと張り合わせて何か作る。それは楽しいかもしれないけれども、現実と照らし合わせて見るとまるで整合性がなかったりする。
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( ‥)そういうのは妄想と言うんですよ。
(‥ )まあそうだね。世間的にはトンデモとも言うらしい。
疑似科学をやっている人たちを見ればなんとなく分かるけれども、論理的であるとか、説明できるとか、そういう特徴はまともな科学と疑似科学の識別点にはなりえない。会合で自説を勝手に大声で叫ぶキチ○○とか、俺が支持するこの説を認めないのだから科学者はみんな保守的に違いないと書き立てるライターとか。、そういう人々を見ていると、彼らは彼らなりに矛盾なく論理を展開するし、説明しようと試みていること(場合によって”説明できすぎている”場合もある)、それはよく分かる。
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(‥ )あの手の説明が論理的ですかあ??
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(‥ )矛盾がない、そういう点では論理的であるね。
まあ、確かに論理に矛盾が生じたので、それを解消するために導入された仮定とかもあるけども
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( ‥)それ自体はどんな説明でもあることですね。
(‥ )データの分布にコンフリクトが生ずる。
だからこの2つのデータは由来が異なる
つまり違うデータであると説明する(例:収斂)
矛盾があること自体は科学と非科学を分ける線じゃあないね。
相違点はたぶんほとんどひとつ。余計な仮定が多いか少ないか、さらにいえば経験的にデータを積み上げた時、最節約に考えた場合、データを収拾した時、仮説との矛盾が増大するか、あるいはしないのか。あるいはこういう作業を行えるかどうか。
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( ‥)余計な仮定が多いか/少ないか、あるいは最節約で考えるかどうか
それはほとんど同じことでしょ?
(‥ )たぶんそうだろうねえ。
データからグラフを描く時に誤差がでかいグラフを引くか、
誤差最小のグラフを引くのか(あるいはそれに近似か)
そういう表現に集約可能。
データからの誤差が最小であるグラフを引くのであればこそ、データを加えた時にグラフが生き残れるのかどうか確認できる。
こういう場合に、初めてデータを経験的に利用できる。言い換えればこれが出来ないトンデモ系の人は経験的なデータを有効活用できない。本人はデータを有効活用しているつもりだが、実はデータと本人が採用した仮説(グラフ)との誤差が悲しいかな増大している/つまり現実との乖離が激しくなる。
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( ‥)だからトンデモって言われるんでしょうね。
(‥ )そりゃあ、経験的なデータをいかせないとしたら
良くて頑固、悪くて頭おかしいって言われるだろうなあ。
それを要約した通俗用語がトンデモってわけだな。
とまあ、こういうことは前から書いていたことなんだけども。でっ、本題。
( ‥)あの手の人のあの性格というかああいう思考形態っていうの?
あれは先天的なものなんじゃないかな。
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( ‥)はあ・・・・・受け止め方によってはきわめて危険な発言ですね。
まあ、先天的なんじゃないかって疑問を呈する分には、かまわないだろう。でも意外とありなんじゃね? と思う。トンデモとはなんのこっちゃない、最初のとっぴな思いつきを経験で是正できない人ってだけであって、それはようするに
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( ‥)思いつきに固執するってことですかね?
(‥ )そしてその思いつきにデータをすりあわせる。
すりあわせるからデータを利用できない。
まあなんだ、ストーカーとかと同じなんじゃないか?
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( ‥)でっ? 先天的だと?
( ‥)まーなんだ、以前、ストーカー行為をしていた人間の
母親と話した時にね、こいつも頭のおかしい女だなあと
思ったのでね。
そして思う。いわゆるトンデモな人を是正しようとするのは間違っている。というか是正するために支払ったコストに対して効果がほとんど0、無視して良いレベルしか上がらないのでしなくて良い。
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( ‥)そういうあなたはどうなんですか?
(‥ )絵を描く人間はね、ひとつのことしかできない人間なのだ。
実際、絵がうまいやつになればなるほど駄目人間。
まともな人間は絵がへたくそだし、ひとつのことに固執しないし、データを経験的に有効活用して、そして物事はなんでも鵜呑みにするが、トンデモ系の言った言葉は鵜呑みにしたあげくに忘れるので何の問題もない。