昔、仏教関係者というか僧侶の人から聞いた話。曰く、残された仏典(さまざまな言語による断片的な記述の集合)によれば仏陀は死後の生や魂については、そういったものがあるかないか分からないので取りあえずそのことに関して論じない、という立場だったのだとか。
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( ‥)余計な仮定はそぎおとす、ということですか?
(‥ )そぎおとしたのは何かって議論になりそうだけど
そうねえ、分からないことは論じてもしょうがない
そういう健全な意見だと思えばいいんじゃない?
だからキリスト教などにくらべると、仏教は矛盾した立場に追い込まれたりしないのかもしれぬ。というかそもそもあれは宗教なのか?
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( ‥)あるかないか分からないものをあると仮定して
宗教を作ったり、あるいは体系を作ったりすると
後々面倒なことになりますよね。
(‥ )あるかないか分からない魂とか極楽は論じません。
こうしておけば後々やっかいなことには
ならないだろうなあ。
近代において科学が発展してくるとキリスト教がそれに対立する姿勢を示したのは”あるかないか分からないもの”を”ある”と仮定したためだと言えるし、仏教があんまり影響を受けていないことからすると、”あるかないか分からないもの”をあるとは仮定しなかったためかもしれない(無いと仮定したわけではないらしいがよくわからん)。
( ‥)でも宗教色が強い仏教もあるんだよなあ。
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( ‥)仏像をおがんだりとか、魂の救済を霊魂の不滅とか
極楽とかに求めたりする人々のことですね?
まあなんだ、先の僧侶の人も言っていたけども、そういう宗教を無下に否定することは、これがあまりできない。つまり例えば、仏陀はそんなことあえて論じてはいないよ、魂の不滅だの極楽だのってどこの怪しげな新興宗教だよ?? なんて言うわけにはいかないということらしい。
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( ‥)外交的な配慮ですね?
(‥ )異教徒には寛容であれ。神はそうおっしゃられているのだ。
冗談はさておき、ひるがって考えれば余計な仮定を前提にしないのはいいことだ。余計な仮定を前提すると後でろくなことにならない。現実の前に敗北を喫するか、さもなくば敗北から目をそらすためにただの阿呆に成り下がるだろう。
( ‥)しかし余計な仮定を前提しなかった仏陀本人を
あがめる一派もあるわけで、人間の信心とは
まことにご都合主義なものよ。
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( ‥)まあ、お猿さんですからね。
中東にはあろうことか、私は預言者ではあるが神ではないと言ったムハンマド本人を崇拝する小さな宗教がかつてあったと聞く。なんでもオスマントルコ帝国に滅ぼされたらしいけども。
(‥ )そんなくそ異端は殲滅されて当然なのだ。
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( ‥)そんなもんですかね?
大丈夫。神もお許ししてくださるだろう。