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2016年9月5日月曜日

分からないが計算づくの言い訳でしかない可能性

 
 人間は進化で誕生した。要するに我々は存在自体が結果論。
 
 ∧∧
( ‥)それを考えると
 
  (‥ )分からないって
      信用できないよな
 
 分からないことは世の中に当然ある。証拠が少なくて答えが絞り込めない、とか、あまりに煩雑すぎてどうにも把握できない。するにして100年ぐらいかかるんじゃねえか? という状況。
 
 とはいえしかし、多くの場合、実はこうではなかろうか。
 
 把握しても自分の得になりそうにないから、把握を止めておこう。
 
 ∧∧
(‥ )人間の心は脳の影でしかない
\−
 
  (‥ )そして我々は
      結果論であるから
      不経済なことはしないのだ
      やって得するようなこと
      だけをするように
      出来ている
      
 
 だとしたらこうである。

 分からない、難しい、と僕らは言う。
 
 だがしかし、実際のところ僕らの脳はすでに計算したのではないか? 
 
 つまり把握にかける手間に対して、手に入る得があまりに少ないと計算したから、把握する事自体を放棄したのではないか?
 
 ∧∧
( ‥)ぱっと状況を見て
    得にならないから
    脳はそれについて
    考えることを止めてしまい
    考えることを止めたという
    自覚がない心は
    分からないと言い訳する
 
  (‥ )世の中で使われる
      分からないのほとんどは
      これじゃないのかな?
 
 
 私の、あなたの、彼の、彼女の、彼らの言った分からないとは、一体なんだったのだ?
 
 

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