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2016年9月15日木曜日

論理的が成功原因とは因果の誤謬

 
 ずっと雨が降る。2016年9月15日、朝の6:10の時点で気温は22度だが湿度は90%。
 
 ∧∧
(‥ )秋雨前線なのかな?
\−  前線がずーっとかかってて
    関東はここ数日雨曇り雨
 
  (‥ )室内でもさっき見たら
   □−  湿度が80%になってた
      イラストの紙がしなしなに
      なっとる
      やだねーやだねー
 
 日本人は無駄に天気の話題が好きだねえ、と海外の人が言う。しかしこれは当然かもしれぬ。日本は天気が悪い日が多い。農作物の作柄もさることながら、気にもなるだろう。
 
 何事にも原因があるということだ。原因を把握せぬままに表面を連想的に理解してはいけない。
 
 さて
 
 ∧∧
(‥ )欧米のクリエーターは
\−  論理的にお話を作るんです
    日本じゃ考えられない
    すごい! と絶賛する人
    時々いますよね
 
  (‥ )だから欧米は
      つまらないものしか
      作れないんじゃねーの?
 
 論理的に話を作る。これは創作の上ではむしろ致命的な弱点だ。
 
 ∧∧
( ‥)というかそもそも
 
  (‥ )世界の民話、伝説、神話
      あれらのどこが
      論理的なんだい?
 
 まあそりゃ筋道はそれなりに通っているだろう。とはいえしかし
 
 ∧∧
(‥ )たいがいの民話、神話は
\−  めちゃくちゃだよね
  
  (‥ )根本は単純なんだ
      例えば異能な主人公が
      悪を退治して姫と財宝を
      手に入れる
      英雄譚とは古今東西
      アジアも欧米も同じよ
 
 とはいえしかし、主人公の出自からして桃から産まれた(あるいは桃を食って回春した夫婦から誕生した)、とか、クマやヤマイヌなど異種との交配から誕生したとか、発想が古今東西めちゃくちゃである。

 異能を説明するための異様な出自創作でしょ? と言い訳しても駄目だ。出自から離れても民話や昔話は異様である。
 
 例えば白雪姫は話自体は英雄譚と基本同じだ。虐げられた主人公が王国を手に入れるという物語。だが同時に白雪姫は、少女の死体をガラスの容器に詰めるという西欧に分布する類型から成り立っている話のひとつらしい。
 
 少女の死体をガラス容器に詰める。この発想、一体どこから来た?
 
 ∧∧
( ‥)どこが論理的なんじゃいと
 
   ( ‥)しかも神話や伝説は
     −/ 皆が受け入れたから
        伝承として今まで
       生き延びてきたのだ
 
 ここから分かることは、人間は論理的な物語など望んでいない、ということである。
 
 つまるところこうであろう。創作者が論理を振りかざして物語を作ろうとしている時点で、それはあからさまに敗北への道なのだと。

 実際、人類が論理的な話を好むというのなら、SFはそれがハードになればなるほど喜ばれるはずだ。だが現実には絶滅危惧種のか弱い分野になっているであろう? 

 論理で物語を作るなど素人の馬鹿発想でしかないこと明白。
 
 ∧∧
(‥ )でもハリウッドはすごい!
\−  日本よりも大成功
    そして彼らは論理的!
    だから成功の秘密は
    論理に違いない! と
 
  (‥ )それさ
     人口が多いだけじゃね?
 
 例えばの話、日本人口が今の2倍あったら、イラストレーターやライターの年収問題は解決だ。
 
 ∧∧
( ‥)そりゃ人口が2倍になれば
    売れ行きも2倍
    収入も2倍になりますからな
 
  (‥ )そいでよ
      英語圏は日本語圏よりも
      人口多いべ
 
 だったらそれだけで成功するだろ?
 
 ∧∧
(‥ )じゃあハリウッドが
\−  論理的になったのは
    なぜでしょうね?
 
  (‥ )ごっこ遊びの
      エスカレートじゃねえか?
 
 人間は文化圏ごとにその場の形式に束縛されていて、その形式の枠組みの中で勝負を行う。形式とはゲームのルールであり、そのルールの枠内で勝負を行ううちに、いたちごっこに物事がエスカレートしていくようになる。
 
 ∧∧
(‥ )日本だと飲みにケーション
\−  なんですかね?
 
  (‥ )アメリカだとそれが
      論理だった
      それだけの話じゃね?
 
 ∧∧
( ‥)アメリカでは論理ごっこが
    どんどんエスカレート
    してしまったと?
 
  (‥ )相手を説得するのに
      論理を使わねばならない
      というルールでは
      そうならざるを
      えないだろう?
 
 そして論理では面白いものは作れない。人間は論理評論家ではないからだ。
 
 だったらハリウッドに面白いものなど作れるわけがない。面白いと評価があったものをただただつなげる自動機械のようになるだろう。
 
 ∧∧
(‥ )でもそれでもつぶれない
\−
 
  (‥ )日本映画でさえつぶれては
      いないんだよ?
      市場がでかければ
      金も集まるかけられる
      だったら一見すると
      面白いものを作れるべ
      実際、日本の連中だって
      アメリカ映画はすごいな
      とため息しながら
      こうほめるべ
      金かかってるなーって
 
 実は面白いとは言っていないのだ。
 
 ∧∧
( ‥)それは自動作成機械と
    しての仕事であって
    模索ではないのだと
 
  (‥ )日本の映画界だって
      自動作成機械になって
      いるみたいだしな
      大きな組織の宿命よ
      模索なんかしたら
      死ぬからな
 
 模索を放棄するのは悪いことではない。それは必然だ。
 
 しかし模索を放棄しても”面白い”のは、市場が大きいので金が集まるし、かけられるから。ただそれだけの結果ではなかったか?
 
 そしてこれだけの単純なことを、知識人たちはこの成功は論理のせいに違いない、そう勝手に思い込んだ、それだけのことではなかったか?
 
 人間が論理評論家でない以上、論理は面白さの原因足り得ない。なれば、この成功は論理のせいに違いないという推論は、因果関係の見誤りである。
 
 
 

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