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2016年5月7日土曜日

完成する世界、循環する世界

 
 歴史は発展する。王制、帝政、そして民主制で歴史は完結する
 
 あるいは資本主義、社会主義、そして共産主義で世界は完結する
 
 
 ∧∧
(‥ )こういう物事が必然
\−  ある方向へ発展するという
    世界観は根強いですよね
    マルクス主義は言うに及ばず
    それに対峙したアメリカでさえ
    民主主義で歴史は完結する!
    みたいなことを本気で
    言っていたわけだし
    信念とも宗教とも言えますな
 
 
  (‥ )もともと人間が持っている
      世界観なんだろうな
      特にこの現象が
      一種の物理法則で
      必然的にこの世界には将来
      ユートピアが出現するし
      ユートピア実現のためには
      革命が必要で
      革命する俺たちすげー
      革命に反対するのは
      物理法則に反対する
      愚者だから
      殺して良いと述べた
      マルクス主義が人々に
      受けたのは当然だろうな
 
 民主主義最高ー! のアメリカ的世界観は、残念ながら、その性質上、アメリカでしか受けないのでファンの獲得は結果的に限られたものとなった。
 
 つまりファンの数で言うと、マルクス主義の圧倒的な勝利だったのである。

 ただ、マルクス主義はファンが貧乏になってしまったのでファン倶楽部が解散してしまい、結果的にアメリカ民主主義最高ー!が勝利することになった。いや、アメリカ最高!の寿命が結果的に長かったので単に生き残った、というべきか。
 
 ともあれ、ここには物書きとして見るべき点がある。
 
 まず書き手は読者をほめるべきだと言われる。
 
 つまり書き手は、
 
 皆の偏見や思い込みを肯定しなければいけない
 
 皆の偏見や思い込みを肯定することで、皆の望みも肯定しなければいけない
 
 それが書き手というものである。これはハーレムむふふのラノベ作家からカール・マルクスに至るまで、何も変わっちゃいなかったのだ。
 

 では肯定されるべき皆の望みとは何か?
 
 君は今のままで良い、間違っているのは君以外である、それが真理である、その真理こそがここで述べられているものである、この真理を分かった君は偉大であり、分からない連中は愚か者であり、彼らに暴力をふるっても良い。それは真理の元に正当化されるであろう。
 
 これが皆の望みであり、これが書き手から読者へと提供されるべきものであった。
 
 ∧∧
(‥ )娯楽ってのは殺人ショー
\−  だからね
    これは正当な殺人ですと
    言ってあげるのは
    クリエーターの基本でしょうな
 
  (‥ )マルクス主義に限った
      ことではないけども
      マルクス主義は
      娯楽だったわけだ
      なおかつ人類が持つ
      歴史が前進し発展する
      という世界観に合致した
      娯楽であった
      見事な娯楽だな
 
 それを考えると、マルクス主義が地球に一大旋風を巻き起こしたのは当然だと言えよう。少なくと一時とはいえ、世界の半分をファン倶楽部にし、さらに残りの世界にもファンを増殖せしめたのだから。
 
 ∧∧
( ‥)でもそれは間違いであろう
 
  (‥ )そもそも発展なんか
      するわけないからな
      所詮は娯楽の悲しさよ
 
 娯楽とは所詮は嘘なんである。すべては残骸に成り果てるは必然。

 歴史が発展する、という世界観もまた同じであった。
 
 確かに物事は伝達される過程で派生的になり、改良はされるであろう。しかし、改良されてもなお、性質は結局同じだ。改良された世界は以前の世界を大規模にしたか、緻密にしたか、そういうものになるのがせいぜい。
 
 そしてむしろ物事を支配する条件とは発展と全然別のものだ。ゆえに発展ではなく、別の事柄と条件が社会の形を決めると考えた方が良い。
 
 ∧∧
(‥ )民主主義を生み出した条件が
\−  崩れてしまうと
    民主主義が地球から消えて
    しまうことも十分にありうる
 
  (‥ )実際
     消えかかっているんだよな
 
 これからの世界がどうなるのかは分からない。企業と封建制が合体したような嫌な世界になるのかもしれないし、全国民を軍事産業に従事させて専門家の軍隊を必死に維持するようなファシズムに走るのかもしれないし、あるいは官僚と軍人と世襲議員が対立しながら形作る一種の独裁制に移行するのかもしれないし、そこんところは分かりかねる。
 
 とはいえ、こういうことを考えると思い出すのが
 
 ∧∧
( ‥)ギリシャの歴史家
    ポリュビオスの循環政体論
    ですかね
 
  (‥ )民主制は衆愚制になって
      瓦解し
      一部の人間よりなる
      貴族制になるがそれも
      寡頭制になって暴政化し
      結局王制になるけど
      王は暴君になって
      独裁制となって打倒され
      民主制に戻るが
      それはまた衆愚制に…
      というやつだな
 
 初めて知ったのは中学生の時に本で読んだ、ごく短い一文だったけども、それがポリュビオスのものであるのを知ったのはかなり最近だ。
 
 循環、というのは循環自体を法則化しているようなものなので、先の、”世界は発展するぞ論”と似たようなものではあろうし、同じ誤謬を内在してはいるだろう。
 
 ∧∧
(‥ )でも完成するぞ! と
\−  えー、どうせ戻っちゃうよ〜
    とではえらい違いですよね
    未来に対する展望も
    現状に対する評価も
    これだけで正反対になる
 
  (‥ )古代ギリシャって
      官僚がいないせいかな?
      政体がまるで不安定に
      みえるんだよな
      でもそれだけに
      その不安定な実験世界から
      提案された世界観には
      価値があるかもしれん
 
 まあ、いずれ原典を読もう。
 
 そして改めて自分を顧みるに、なんということであろうか? 結局、自分が回帰するのは中学生の時であった。
 
 ∧∧
( ‥)悲しいもんだな
 
   (‥ )世の中はそんなものよ
 
 そして思う。
 
 人生は完成するものだと人は思っている。

 だから歳を取った自分は偉大なはずだと、人々は思っていよう。

 だが、循環してしまうと考えたらどうだ?
 
 その世界観で自分を見た時、今の自分を完成型であり究極なのであると、肯定できるか?
 
 我は十全なり。そう自負をした人々のすべては、単なる虚構であった。
 
 
     

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