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2016年2月25日木曜日

自分自身の脳を含めて、理解と知性を過大評価しすぎ

 
 日本は体で覚える文化であり対応は速いが、なぜそうなるのか? 原理を理解していない。

 一方、欧米は理解する文化だ。対応はやや遅いが、なぜそうなるのか? を理解している。
 
 長期的には日本のように体で覚える文化は不利になるから...
 
 ∧∧
(‥ )という意見がありますが
\‐
 
  (‥ )根本的に間違いだね
 
 
 ∧∧
( ‥)理由は
 
  (‥ )人間が物事を
      理解できるわけないだろ?
 
 いや、俺は理解している、そう猛然と反論する者もいよう。
 
 じゃあこう言い換えればいい?
 
 理解するのはいいけど、その理解が正しいってお前どうやって確かめたの?
 
 ∧∧
(‥ )西欧も1000年以上
\‐  天動説で物事を
    理解していたよね
    理解してはいても
    その理解が現実とは限らない
 
  (‥ )理解を優劣の基準にして
      物事を語っている時点で
      論点がすでに
      ずれてるんだよ
 
 
 考えることで天動説から地動説へ移行できたじゃないか! そう主張する人もいよう。これこそが知性のあかしだと言うものもいよう。
 
 しかし、この移行は実際のところ狂気によるものであった。しかも、それが実現できたのは精神論ではなく、単に金の問題である。
 
 コペルニクスの地動説はイスラーム天文学の書き換えだし、真なる革命を天文学に起こしたケプラーの発想と根拠は狂ってるし、それを裏付けたデータは大貴族チコ・ブラーエが何も考えずに湯水のごとく財産を投資して得た、単なる趣味の置き土産であった。ここにあるのは、思いつきと狂気と金だけではないか。
 
 いや、もうひとつある。それは絶えざる試行錯誤。
 
 
 ∧∧
( ‥)最適解を求めるには
    でたらめに試行せよ
    試行回数を増やすには
    金を投資せよ
 
  (‥ )これを実現する時
      理解なんて馬鹿げたものは
      必要ないのだ
 
 理解など、便宜的には便利な言葉であり、使うこと自体は問題無い。

 しかしそれは、真面目に使えば使うほど、愚劣極まる言葉である。
 
 真面目にいってしまうと、理解とは、現実と虚構の区別がついていない人間が使うたわ言にすぎぬ。
 
 
 ∧∧
(‥ )一方、数と
\‐  数を支える富みがあれば
    最適解の探索は
    可能なのである
 
  (‥ )ここには理解も知能も
      必要ない
 
 つまり、最も最適な動作を獲得する上で必要な事柄はかように明らか。
 
 それゆえ次のように言える。
 
 ∧∧
( ‥)最適な動作を理解しようが
    体で覚えようが
    結局は同じこと
    必要なのは数と
    数を支える富み
    それだけなのである
 
  (‥ )ということはだ
      日本式の体で覚えるが
      長期的に駄目だとか
      良いとか
      そういう論点は
      ずれてるんだよ
 
 
 おそらく、これを言う人は、自分自身の頭の出来も含めて、人間の知能と知性と理解を過大評価しすぎなのである。
 
 あるいは意地悪に言えばこうだ。考えすぎて机上の空論になっているし、考えること自体を免罪符にして調べることを諦めていると。
    
 
  
 

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