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2011年4月23日土曜日

自分の夢を他人に投影しているというべきか?

 
 
 そういえば飯舘村の村長さんが村を守るために容易に避難の道を選ばないことを批判していた人がいたけども(村長さんが村民を脱出させないって言い様までしている人もいる始末、いや、でもさ、村長さんにそんな法的権限があるのかい?)

 ∧∧
( ‥)なんと?

    (‥ )なぜ日本は変われないのだ!!
        なぜ避難しないのだ!!
         どっちもずいぶん安易な
          現実認識だとね。

 日本も村も人間の集合体だ。まあ、人生の集合体でもある。

    (‥ )つまりあれだよ、国や村を変えたり
        口で言う程、簡単に避難できるのなら
        個人の人生を変えるのも、
        避難/退避/移動するのも
        また容易だという
         ことだよな?
 ∧∧
( ‥)どういう風に容易と?

 
 今からあなたの人生を劇的に変えてください、例えば今すぐこの場所から離れて遠く離れた土地でいって、ただちに就職して生活を安定させてください。ああ、できれば前とまるで違う職業で。同じだと変わったとは言わないでしょ?

 ∧∧
( ‥)無理ですね。

    ( ‥)だが可能だと言っている
        これには驚きだ。


 人生は劇的に変わらないし、変えたくもない。

 しかし

 人生が変わらないし、変えもしない人が「変えるべき、変えられる」と言う。

 真面目に考えれば、これは奇怪。あるいは理不尽。

 あるいはこれは、自分の夢を他人に投影していると見るべきか?

 ∧∧
( ‥)変わりたいし、変えたい。
    でも変わらないし、変えられない。
    だから変わって欲しいし、
    変えて欲しい?

     ( ‥)自分で自身を変えたやつなら
         「こうすれば良い」
         「こうしたらこうなった」
         と言うさね。


 もっとも、そんなことを言う奴は大抵の場合、詐欺師であったりする。

 

 

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