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2016年7月11日月曜日

民主制に自由で挑もうなど笑止

 
 
 ∧∧
(‥ )民主制ってさ
\−  あの王様が気に入らない!
    という民衆の総意で
    独裁者をリンチして
    成立した仕組みなんだよね
 
  (‥ )だから独裁者からは
      自由になれるけど
      民衆の総意から自由には
      なれないんだよな
 
 元がそうなのだからそうなるのが当然だ。
 
 だから例えばこうである。

 日本は相互監視で大勢に流され、異論を許さない。
 
 あるいは
 
 アメリカはブッシュ以来おかしくなった、戦争に突き進むことに反論できない、アメリカは帝国になってしまった!

 かような愚痴、賢しい人間はいずれもこういう文句を言うが、これらは根本的に間違っている。
 
 相互監視と総意の強制こそが民主制。だって成立がそうなのだから、民主国家なら必ず総意を強制する。民主国家とはそうであらねばならぬ。総意で成立した恐怖の監視社会、それこそが民主制なのだから。
 
 ∧∧
(‥ )民主国家は
\−  独裁者の自由を否定し
    民衆の総意を選んだ社会
    なのである
 
  (‥ )独裁制と民主制は自由の
      主語が違うだけで
      個人の自由が無い
      という点では
      どっちも同じということよ
 
 あるいはこう言えば良い? 

 独裁者の恐怖と民衆の総意という恐怖、お前はどちらを選ぶか? 独裁制と民主制にはそれだけの違いしかないのだと。

 
 こんな明白なことを分からずに、自分を自由にしてくれる民主制がこの世界のどこかにあるはずだ、それこそが真の民主制だ! 他は全部まがい物の民主制だ! 日本に本当の民主制はない! とか絶頂に頭狂ったことを言い出すから、話がおかしくなる。
 
 ∧∧
( ‥)ではこの民主制という
    恐怖にどう向かい合います?
 
  (‥ )民主制に対して
      自由で抗するは愚劣
 
 そもそも自由を否定する存在が民主制である以上、民主制をもっと自由にしよう、というのは根本的な誤りだ。

 実際、民主制をもっと自由にしようと考えた人間はことごとく独裁者になったであろう? 

 考えてみれば当たり前である。自分の考えた自由を行使すれば、それは総意に対する反撃であり、総意に反する以上、それは独りよがりとなり、俺様の考えた最強の自由となり、ついには独裁と成り果てる。
 
 つまり自由を望む人間が独裁を指向するのは当然であり、しかし独裁という自分の自由を行使するがゆえに、彼は必ず自由を失う。
 
 事実、猜疑心にさいなまされて片っ端から粛清したスターリンは、誰よりも自由であるはずだが、自由であったか?
 
 ∧∧
( ‥)総意という恐怖に
    自由が使えぬなら
    なんとする?
 
  (‥ )混沌だ
      混乱ではなく混沌だ
      混沌を作らねばならぬ
 
 これぞ身命かけて追求するべき事柄なり。
 
 自由の女神というあばずれなど知ったことか。


 
 

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