2日の午前は暖かく、10度近くあったように思われ、風が強く、時々ごうごうと激しい雨が降った。
∧∧
(‥ )寒冷前線通過中だ
\−
(‥ )昼間には
5度まで下がり
夕方には吹雪になった
順当に寒気が
入って来ておる
強い風で舞い散る雪。しかしもはや冬の終わり。雪は暖まり始めた大地の熱で溶けて、道路には積もらず、屋根に積もった雪も半ば溶けたかき氷状だった。
翌3日。天気は悪く薄曇りで、太陽の光は弱いが、重い雪はたちまち溶けて、屋根から落ちると、ひどく大きな音をたてた。
そして日付変わって4日の朝。気温はマイナス2度。
∧∧
( ‥)気温の割には
妙に寒くね?
マイナス2度には
思えない
(‥ )冬の終わりで
熱がたまりかけてる
そのたまってる熱を
マイナス2度まで奪う
それは寒気が
強いってことで
だから奇妙に寒く
感じるとか
そういうことじゃね?
かように冷たい高気圧が入って、空は晴れ渡り、てんびん座では半月が輝く。
さて
現代の...というか現在の中国ではおそらくは極端な独裁制が成立していた。
∧∧
(‥ )毛沢東のおっちゃんは
\− 全国から来る電報に
全部指示を与えたし
さらに前
清帝国の5代皇帝
雍正帝(ようせいてい)は
全国からの報告書に
朱筆で指示を与えたことで
有名でございます
(‥ )たったひとりで
全部やるという
極端な独裁制は
中国では何度か
成立したわけだ
日本でこういう例は
ちょっとないよな
このことはつまり、中国は、あるいは現在の中国は官僚制度というものが未熟ということであろうか?
∧∧
( ‥)逆に昔の中国は
どうだったん?
(‥ )さてね?
科挙制度が成立して学問のある人間を一般から徴募するようになったのは隋帝国から。
そのずっと前の戦国時代は口達者な人間たちの自発的な売り込みがあったし、その中間には儒教学者とか大学とかが確かあったはず。
官僚の調達手段は時代ごとに変わっているが、調達手段が違うだけで官僚それ自体は存在したはずであった。
∧∧
(‥ )実務を司る人たちは
\− 中国でも普通に古代から
連綿といたわけだよね
そういう伝統が
あるにもかかわらず
文字通りのたった一人の
判断が成立してしまうって
どういうことかね?
(‥ )なんだろうねえ?
もしかしたら一部の人がいう中国に対する揶揄。中国5000年の歴史というが、夏王朝から数えても3500年ぐらいだし、実際には王朝ごとにリセットされてしまうから、中華の歴史は古くとも、国の歴史それ自体は浅いではないか。こういうこの手の揶揄。これが実はある程度正しいのかもしれない。
∧∧
(‥ )中国がですよ例えば
\− 周王朝の天子がおわす
という状態だったりしたら
こういう独裁制は
成り立ちませんよと
(‥ )まあ実際な
周の天子がおわす
春秋戦国時代の覇王たちは
あくまでも諸侯の一人で
諸侯に号令する
権力を持ったという
存在だったしな
覇王たちは独裁者では
ないよね
なるほど、自領内部では専制君主であったとしても、自領から出れば、それはあくまでも天子に任命された大名という扱いであって、他の大名たち(諸侯たち)は理論上は彼の同僚であった。彼らは形式的とはいえ、天子につかえる大臣なり、官僚なり、あるいは何らかの係官のような立ち位置であったから。
∧∧
(‥ )この状態がずっと続けば
\− 日本のように
天子、大臣、臣民
という
三すくみの安定状態に
いきついたはず
(‥ )でも中国はそうは
ならなかった
だから時々
極端な独裁制が成立する
それだけのことかもね
古代ギリシャの歴史家ポリュビオスは循環史論を唱えたけども、それは、人類の政体は、独裁制、貴族制、民主制であること。人間の政体は必然的にこの三つの制度を循環すること、つまり不安定になること。しかしローマは独裁制、貴族制、民主制が混在しているので安定的だ、という理解と解釈であった。
∧∧
(‥ )日本とか英国のような
\− 立憲民主国が比較的
安定なもの
これが理由だろうね
(‥ )単純に中国って
普通の国として
普通に不安定な
だけなのかもな
ちなみにこのことは、やはり普通の国であるアメリカも不安定だということであるのだが...それはまた別の話。