自己紹介

イラストレーター兼ライター 詳しくはhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili あるいは詳細プロフィール表示のウェブページ情報をクリック

2019年6月30日日曜日

精神論は説明であり取り引きそのものではない

 
 人は精神論で生きるのではない。黒字でないと死ぬし、だから人は利益のために生きて、金のために生きるのだ。
 
 ∧∧
(‥ )そういう時に
\‐  農業と循環社会と助け合い
    なんて言われても
    興味もてるわけがない
 
  (‥ )金の話をしなかった時点で
      農協が追い詰められている
      ことは明らかだな
 
 まあ言い換えれば完全に追い詰められているわけでもないだろう。本当に追い詰められた人間は農業と循環社会と助け合いとか言わない。我が農協は原発事故を受けていち早く原野を開拓し太陽光発電を導入して再生可能エネルギーした、なんてたわ言をほざいたりもしない。
 
 ∧∧
(‥ )...農協の本が金の話を
\‐  書いていないのは
    農協が追い詰められる一方で
    組織と生活自体は
    どうにかなってる
    そういうことでしょうな
    安心感があるから
    金の話をしない
 
  (‥ )だから精神論を
      言っちゃうんだろうな
 
 なるほど、精神論は必要でもある。信念と理念は人の道しるべとなり、理解の基本となり、社会と景気を上向かせることすらできる。

 だがしかし、あくまでも精神論は説明だと考えるべきだ。
 
 ∧∧
( ‥)戦いの時に
    兵士が突撃できるのは
    お国のために頑張れという
    精神論ではないのである
 
  (‥ )兵士が突撃できるのは
      勇敢に死ねば
      名誉が得られるという
      黒字が
      保証されているからだ
 
 根本的に人は取り引きで行動する。精神論は取り引きを説明するためのもので、取り引きそのものではない。
 
 
 
 

ブログ アーカイブ