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2017年8月29日火曜日

世の中の正しい文章はほぼ全部間違いである


 
 作文術というのはそんな難しいものではない。
 
 伝えたいことを決めて、それにそって話をかき集めれば良い。
 
 伝えたいことは思いつきで良い。思いつきとは、ぱっと見て、そして自分が感じる概要だ。この時点ですでに結論は出ているし、それが伝えたいこととなる。

 つまり作文術とは自分の思いつきに沿った話を集めるだけの作業。

 後は順番に説明すればいい。例えば作者は全体を一通り見て概要を知っているが、これからそれを読む読者はそうではない。だから順番が必要だ。

 まず全体の要約を話す。これは結論そのものでも良いし、結論の要約でも良い。ミステリーを書くわけじゃないのだから、まずネタバレすればいい。こうすれば読者はこれから読む文章の地図を手にすることができる。これで読み手は一安心だ。
 
 そして最初に配布した地図に従って説明すればいい。

 出発点はここです。このような道筋がありますから、ここをこのように通ります。目印となる重要な案件が見えてきましたね。ここを右に曲がり直進すると次の案件が見えてきます。

 このように次々に案件を踏まえれば結論であるこの場所にたどり着くことは明白でしょう。今、改めて、より詳細に述べれば結論はこのようなものなのです。

 こうして閉める。
 
 このように作文術は地図作りのようなものだ。確かに世の中には地図作りや道順を伝えることがへたくそな奴もいるが、以上の作業に困難など本来存在しない。
 
 ∧∧
( ‥)問題はですよ
 
  (‥ )以上の作業には
      最初の思いつきが
      そもそも正しいのか?
      それを検証する過程が
      どこにもないってことだ
 
 最初の思いつきが間違っていたら、すべてが破綻してしまうであろう。というか、そうやって破綻した文章や記事はいくらでも思いつくものだ。最近だと映画「関ヶ原」の評論を書いた映画ライターが、武者が変なもの背負ってるー なにこれー? うざい歴史語りのおっさんたちの捏造ー?? www と母衣のことを何も知らずに書いた映画評論が炎上した案件なんかがそうだろう。
 
 ∧∧
(‥ )思いつきだけで作文すると
\‐  こうなりますよという
    作文術の欠陥が
    思いっきり出た事例ですな
 
  (‥ )まあライターってのは
      作文術しか知らんからな
      検証なんかできん
 
 
 では最初の思いつきが正しいのかどうか? それを検証するにはどうすれば良いか?
 
 これは実のところ作文術以上の単純な作業で、どんな馬鹿でも出来る。
 
 思いつきαを支持する証拠Aは存在するか?
 
 証拠Aが存在するなら証拠Aが正しいことを示す証拠Bは存在するか?
 
 証拠Bが正しいことを示す証拠Cはあるか?
 
 証拠AとBとCが実は同じ文献アを引用しているだけという可能性はないか? 仮にそうなら証拠AとBとCをいくら累積させても証拠の手堅さは増えていない。証拠AとBとCが別起源であることを論証できるか?
 
 これをただただ繰り返せば良い。
 
 ∧∧
(‥ )このように検証術は
\‐  馬鹿でも出来る単純作業である
 
  (‥ )問題はさ
      これ実は
      術になってないのよね
 
 なんとか術と人が呼ぶ場合、そこには、手軽に成果を達成できる裏技、という意味合いがある。この意味において検証術は術ではない。
 
 ∧∧
(‥ )単純作業を果てしなく
\‐  積み上げる作業を
    術とは呼びませんからな
 
  (‥ )簡略化が不可能なんだ
      簡略化不可能な作業を
      術とは呼ばない
 
 検証術が簡略化できないのは、検証術がこれ以上は簡略化できない単純作業の累積だからだ。これしか方法がないのであって、これ以外の方法は存在しない。
 
 ∧∧
( ‥)まああることはあるけどね
    教科書を丸写しにするとかね
 
  (‥ )そうなんだけどさ
     問題はよ
     素人にはどれが教科書なのか
     分からんということよ
 
 だから教科書の丸写しをするには、この本が教科書であることを支持する証拠Aは存在するか? 存在するなら証拠Aが有効であることを示す証拠Bが存在するか? を繰り返さなければいけない。
 
 
 ∧∧
(‥ )結局、最初に戻って
\‐  しまうのだと
 
  (‥ )最後の手段は教科書Aは
      大丈夫ですよと
      教えてくれる先生Aに
      話を聞くことなんだが…
 
 
 これも結局は同じだ。教科書Aが大丈夫ですよと教えてくれる先生Aが信用できると支持してくれる証拠Aは存在するか? という問題に帰ってしまう。
 
 確かに一部マスコミはこの手段を使うことで手堅い質を維持してはいる。しかしこれは高い学歴の人間が社員として入っている結果論に過ぎない。高い学歴の人間は高い学歴の大学に入学、勉学、卒業する過程で、業績のある信用できる先生を聞き知っている。あるいはその先生の学生であったことすらある。つまり誰を信用するべきか、誰に聞くべきか、その確認作業をすでに終えているだけで、作業を省略したわけではない。

 そして、良い記事を書くためには高い学歴の大学へ入ることだ! なんてライフハック術を披露する人間はいないだろう。これを言い換えると悲しいかな、東大、京大ではない人間で構成されたマスコミは絶対に正しい記事をかけない、ということでもある。
 
 ∧∧
( ‥)どこまでいっても
    検証術は最初に回帰して
    同じ単純作業の繰り返しになり
    省略が不可能なのである
 
  (‥ )つまり
      作文術にはライフハックが
      あるけども
      作文内容が
      そもそも正しいかどうか
      それを調べる検証術には
      ライフハックが
      存在しないのだ

 
 つまりこうである。作文術はちょっと練習すれば馬鹿でも身に付くが、その作文内容が正しいかどうか、その検証術を身につけることは原理的に不可能だ。
 
 ∧∧
(‥ )可能ではあるんだけど
\‐  時間が足りなかったり
    作業効率が悪くなるので
    採算が取れなくなるんだよね
 
  (‥ )理屈の上では可能でも
      原理的に出来ない
      そういうのを
      不可能って言うのさ
 
 ゆえに次のことが結論されるのである。世の中の文章はほぼ全部間違いであると。少なくとも、思いつきを未検証で言っているだけなのだ。このことを念頭に入れねばならない。

 証明されるべきはこれであった。
 
   

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