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2011年5月25日水曜日

役に立たない理念と屈服する夢

 
 浜岡原発を止める。それには賛否がある。たとえ止めることが妥当であるとしても(事実、その判断が妥当だとする”妥当な根拠”は幾らも提出できる)、しかし、それでもその判断を下した時、お前は妥当に考えたのか? という問いと責任、それは必ず残る。

 ∧∧
( ‥)結果が妥当であるか、ではなく
    結果を導いた過程が妥当であるか
    そこであると。

    (‥ )結果が妥当であってもな、
        判断の過程そのものの妥当性が
        問われる場合があるってことだな。

 判断の過程が妥当でないと、実はそこに隙が産まれる。それは当然、穴になり、最悪の場合、結果オーライであるはずなのに、そこから評価が転覆することだってある(サイコロで明日の天気を当てても、それは批判されるよ、という話)。

 とはいえ、そんな話、それ自体はどうでもいい。

 人によっては、ではなぜこのような時にあなた方は声を上げない? なぜ妥当性を問いたださない? なぜ必要なら必要だと主張しない? マスメディアやジャーナリストはなぜ沈黙するのか?? と問いかける。

 ∧∧
( ‥)これらの問いになんと?

    (‥ )それは理念の話だろ?
        理念は理論じゃないよな。

 「なぜかくのごとく出来ない??」

 この問いは理念の話であって、メディアの動態を説明する理論ではない。仮に理論であっても同じ、それは”メディアの動態を説明することに失敗”している。なんのこっちゃない、失敗したガラクタ理論を振りかざしているだけのたわ言だ。

 ∧∧
( ‥)まあ、”なぜ?”という問い、
    それ自身が、「かくあるべきなのに
     そうではない」、、、という嘆き
     ですからね。

    ( ‥)ようするに、自分自ら
        敗北と失敗を認めている
        わけだ。

 かくあるべきなのに、なぜそうではない? 

 それはあなたの理論に説明能力がなかったということです。あなたの理論は失敗しました。あなたはあなた自身の問いにこう答えておられる。私は現実の説明に失敗いたしました、と。

 ∧∧
( ‥)でもまあ、このことも
    どうでもいいことなの
     でしょう?

     (‥ )メディアは今、消費者が求めている
         ものを売っている。

 「今、原発の真っ最中ですから、危険性を指摘する記事を書こうというスタンスです。」

 まあ、そういうこっちゃ。

 ∧∧
( ‥)消費者が求めているもの、
    ですか。

    (‥ )あるいはこう?
 
 消費者が求めているだろう、とこちらが推論した記事を売っている。

 ∧∧
( ‥)単に売れるものを
    売っているだけでしょう?

    ( ‥)消費者は想定されたもので
        仮想的なものだし、
        ある商品が売れた、という
        数値だけがよりリアルだね。

 今、観測する限りでは危険ブームなんでね、それ以外のもの、売る気がないんよね、たぶん。

 ∧∧
( ‥)メディアの理念はどうした??
   と問われるでしょう。

    (‥ )そこで最初の話に戻るわけだ。


 *ここで冒頭↑に戻ると無限に楽しめます。

 
 ∧∧
( ‥)でっ、あなたは待つのだと。

    ( ‥)夢が現実に屈服するのを
        待っている、それだけさ。

 夢が頑強な現実の前に降伏し、屈服するさまはすばらしい、それは価値あることだ。

 ∧∧
( ‥)まあ、最低限

    (‥ )これではうまくいかない、
        そういうことは分かるからな。

 駄目なことが分かれば、それは前進だ。挫折にはよくしたもので、ちゃんと対価が支払われている。

 だからこそ、夢は挫折した時にこそ価値が出る。挫折しない夢はただの悪夢だ。
 
 
 
     

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