∧∧
(‥ )
\− 29日 フランスの
ノートルダム教会で
刃物による殺傷事件
先日の予言者冒涜を怒った
イスラム過激派による
テロ事件と...
(‥ )これさ
表現の自由だと
言われたらどうする?
テロ攻撃は被害が大きければ大きいほど良いと言われる。
∧∧
( ‥)宣伝効果あるからな
敵に対しても
テロ組織のスポンサーに
対してもね
( ‥)だからテロって
−/ コミュニケーションの
一種なんだよね
声を大きくしないと聞いてくれない。これがエスカレートして、ついには核爆弾による無差別テロが普通になってしまった世界を描いた小説があったけども、実際、核爆弾によるコミュニケーションは冷戦時代には普通であった。核実験そのものが宣伝効果を持つし、大気圏核実験による放射性物質をばらまくことで、敵国(この場合はソ連から見た米国だが)に対して自分たちが開発に成功した核爆弾の種類と性能を伝えることができた。
かように核爆弾とは確かに言論の自由なのである。
∧∧
(‥ )それを考えると
\− テロはコミュニケーションの
一種であって
表現の自由だ
そのように主張することは
可能なんだよねー
(‥ )まあ反論することは
もちろん
可能なんだよな
人殺しは
表現の自由では
ないのだと
しかしもしイスラーム教徒に問われたらどうする? 予言者の姿を描いて偶像崇拝を促進することは宗教とそれにを信じる使徒に対するテロ行為であると。
予言者を描くというテロ行為を容認するのなら、それに対する反撃を容認するのも当然であるし、むしろその方が平等ではないのか? そう問われたらどうする?
∧∧
( ‥)もちろん反論は可能だよね
予言者冒涜は自由だけど
殺人は自由ではないー
とかいってだな
(‥ )でもさー
その自由の線引きって
恣意的なものだし
恣意的なものって
皆の賛意で決まるのよ
自由というのは実体ではなく、そうである以上、それは定義でしかなく、定義とは所詮は便宜的なものであり、便宜というのは皆の関心と都合で決まるものであり、つまるところ貨幣のようなものであった。
∧∧
(‥ )他人の大事なものは
\− こちらも尊重する
そういうルールで動く
日本人や僕らには
予言者冒涜は
悪いことであって
してはいけないことで
それは自由ではないし
フランスやマクロンの
意固地な態度は
理解できないし
賛同できないっしょ
(‥ )というかぶっちゃけ
関係ないし
知ったこっちゃ
ねーんだわ
だから例えば我々の大事なものを冒涜したら報復するぞ、という過激派の脅しも自分たちには関係ない話であって、どうでもいいのであった。
∧∧
(‥ )フランスやマクロンの言う
\− 自由って
ほとんどの人にとって
どうでもいいことである
(‥ )流通しない貨幣なんだよ
関係ないものは
価値がないし
価値がないものは
流通しない
貨幣は貨幣であるというだけで流通するわけではない。
同様に、自由も自由であるというそれだけで流通するわけではない。表現の自由という言葉だけで流通できるのなら、殺人も表現の自由として流通できるはずだが、実際にはそうではない。
その自由が流通するのか否か、それはその自由の価値による。賛同されない自由は流通しないし価値を持たないのだ。