∧∧
(‥ )パリで教師が首を
\− 切断されて殺されて
射殺された犯人は
イスラム教徒で
教師はムハンマドの
風刺画を授業で使っていたと...
(‥ )ムハンマドは神ではなく
あくまでも
神の言葉を預かった使者
だから預言者
神ではないから
神格化してはならず
崇めることもなく
ゆえに描かれることもなし
ムハンマドを描くとは
イスラーム信仰の中核を
土足で踏みにじる
ことなのよね
∧∧
(‥ )そういうことを無視して
\− イエスと一緒だろ?
風刺して良いだろ?
馬鹿にして良いだろ?
表現の自由だろ?
とかやると
大変なことになりますよと
(‥ )信仰の中核を
踏みにじるのが自由なら
首切るのも表現の自由だ
これの何がいけない?
そう言われちゃ
返す言葉もないからな
余計なことはせんことよ
表現の自由とは、結局のところ人間関係という対立構造の中で許される範囲、という意味であって自由は自由を意味しておらず、自由という雑な表現で問題は把握できていないのである。
例えば、この猫はノミがいない(この猫はノミからフリーである)というのは自由という単語の本来の使用方法だが、ノミからフリーであるという表現だけでは、猫の健康状態は把握できない。その猫はもう死んでしまったからノミが出て行っただけかもしれない。自由という雑な単語ひとつでなんでも解決できると思うのは学歴の高い馬鹿だけだ。