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2019年11月30日土曜日

1868年 ヒヴァ・ハン国の話

 
 ヒヴァ・ハン国
 
 ∧∧
(‥ )今のウズベキスタンの
\−  一部に該当する国だよね
    1920年に消えた国で
    実はチンギスハーン系譜の
    遊牧民王朝である
 
  (‥ )成立は1512年で
      チンギスハーンの長子
      ジュチの末裔だそうだね
  
 
 その後、ロシア帝国に敗北。1868年に保護国化。そして第一次世界大戦とロシア革命でソヴィエト政権が誕生すると、1920年、ついに解体された。
 
 
 ∧∧
( ‥)でも残念ながら
    ジュチさんの系譜は
    それ以前に途絶えてしまった
    そうですな
 
  ( ‥)英語文献には
    −/ 最後のハーン
       サイード・
       アブドゥッラーが
       チンギスハーン系譜で
       あるかのように書いてる
       のがあるけど・・・
       これは
       チンギス系統の
       遊牧民国家
       という程度の意味かな?
 
 
 こういうアジアの事柄となると日本語文献の方が強いように思われた。

 要約でしかないけども、「中央ユーラシアを知る事典」 平凡社 2005 を図書館で読んだところ、ヒヴァ・ハン国では王朝が続くうちにハンが有名無実となり、1804年、権力を得た宰相がハンを自称し、国を奪ったそうである。
 
 
 ∧∧
(‥ )要するにヒヴァにおける
\−  ジュチさんの系譜は
    大臣によって簒奪されて
    しまったわけだ
 
  (‥ )それでも19世紀まで
      チンギスハーンの王朝が
      存続していたわけだ
      まあ当然だね
      ユーラシアの人類なら
      誰でも知るような
      征服王だからな
      その子孫となれば
      尊い血というわけよ
 
 ちなみに先の本に載っている系図を見たところ、ヒヴァのハンたちはジュチの子孫からとはいえ、ずいぶん手広く選ばれていたらしい。
 
 王朝を作ったイルバルスの次はイルバルスの弟の子供だし、3番目はイルバルスのおじさんの子供。4代目、5代目はまた別のおじさんの子供たちで、そしておじさんの子供や、その子供の子供やらが続く。
 
 ∧∧
(‥ )なかには別の国
\−  カザフ・ハン国から
    来た人もいるんだね
    カザフ・ハン国は
    キプチャクハン国の系譜だ
    そうだから・・・
    こちらもジュチさんの系統だ
 
  (‥ )チンギスハンの系譜なら
      構わないんだろうけど
      なんかざっくりしてるな
  
 
 遊牧民は単独で決断する人々。だから自由な人々であり、悪く言うとまとまりがない。その一方で大英雄に対する尊崇の念はあるわけで・・・
 
 ∧∧
(‥ )それがこういう結果に
\−  なったのですかな
 
 
  (‥ )もうそのころには
      ハン位が
      有名無実化してたから
      かもしれないけどな
 
   
 ちなみにヒヴァ・ハン国がロシアに征服されて保護国化された1868年は、日本では明治維新にあたる。そしてこの翌年の69年、ロシアのメンデレーエフが周期表を発表した。
 
 
 以下追記
 
 ヒヴァ・ハン国はヒヴァに都したのでこの名がある。
 
 そして現在のヒヴァ
 
 =>https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%A6%E3%82%BA%E3%83%99%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3+%E3%83%92%E3%83%90/@41.3891253,60.2799633,12z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x41dfa413ffe48cf9:0xcd75f47f7a6dc0cd!8m2!3d41.3895075!4d60.3414529
 
 
 ∧∧
(‥ )ちっちゃ!!
\− 
 
  (‥ )これは...
      ど田舎の寒村だな
 
 
 気候も風景も良さげではあるものの、これは一体...
 
 ∧∧
(‥ )世界各国史16
\−   中央アジア史によると
    ロシアによる征服当時
    ヒヴァ・ハン国は
    総人口が50万程度だった
    そうで...
 
  (‥ )まじかあ 
 
 
  

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