例えば次のように考えてみよう。
任意に選んだ海岸線。これを拡大していく
さてここで問題だ。これらの地形に本質的な違いがあるか?
∧∧
(‥ )ないよねえ
\−
(‥ )これすごく大雑把に言うと
自己相似的なんだよな
自己相似的。全体と全体を作る部分の形が同じ。つまり相似である。あるいは似ている。部分が全体と似ているので、拡大しても拡大しても同じ形が現れてくる。
いわゆるフラクタル。
∧∧
(‥ )厳密なフラクタルでは
\− ないだろうけどね
部分が全体と似ている
拡大しても拡大しても
類似したものが現れる
そういうことは言えるよね
(‥ )これって要するにさ
全体を記述する手間と
部分を記述する手間は
同じだってことなんだよな
地形を記述する手間は地形の形に比例している。全体と部分の地形が類似しているとは、全体を記述する手間と部分を記述する手間が同じであることを示している。
∧∧
( ‥)これって要するに
(‥ )世界史と昭和史の記述は
手間が同じだって
ことなんだよな
いやいや、これは地形の話だろ? それがどうして歴史の話になるんだよ...とか考えてはいけない。
∧∧
(‥ )地形とは歴史の産物であり
\− しかもそれぞれの地形を作った
タイムスケールは
地形が大きいと長く
地形が小さいと短いわけで
比例関係にある
(‥ )そしてそれぞれの地形の
記述の手間が同じなら
それに応じた
歴史の記述も
長かろうが
短かろうが
同じってことなんだよね
ゆえにこうだ。世界史を述べる手間と昭和史を述べる手間は同じである。
∧∧
(‥ )だけど昭和史でさえ
\− 大変なんだから
世界史を書くのは...
それどころか日本史を
書くことすら無理だって
言う研究者いるよね
なんで?
(‥ )めんどくさいからだろ
より正確には、誰かから、ここが間違ってると言われるのが怖いから、それが理由だろう。
もちろん謎は残る。言われるのが怖いのはなぜ? という疑問が残るだからだ。
∧∧
( ‥)なんでよ?
(‥ )ネタ切れだからじゃね?
歴史は再現するものである。
そして歴史が時間的なものである以上、再現するための手がかり、つまり記録が消滅する過程でもある。
このため必然的に歴史学はネタ切れになる。
∧∧
(‥ )ネタ切れになると
\− 人間は枝葉末節にこだわり
重箱の隅をつつく主義に
なる
そうでないと業績を
あげられないからである
(‥ )でだ
重箱の隅をつつく主義は
必然的に
揚げ足取り主義に
なってしまうのよね
そりゃそうだ。重箱の隅をつつく主義では、相手のわずかな落ち度をつつくことも業績になってしまう。
∧∧
( ‥)そして必然
つつかれることを恐れて
自分の重箱だけを
説明するようになる
( ‥)だから日本史も世界史も
−/ 書けなくなるんだろ
岩波講座の世界歴史。権威のある歴史書だが、非常に悪く言うと著者による研究の発表会であって、世界史の概説にはなっていない。
∧∧
(‥ )みんな怖かったか
\−
(‥ )めんどくさいしな
40、50で
教授とかになってみろよ
調べ直して確認する
体力なんざ残ってないぜ