3日の夜更
こんな時間に
∧∧ 図書館へ?
( ‥)
−( ‥)夜間返却窓口が
あるだろ?
返却期日は5日であり、4日は仕事始めで、現在忙しい。まだ半分しか読んでいないが、残りを読んでいる暇はもうすでにない。だから今、返却するのだ。行く途中の店で少し読んで返すとしよう。
...お店
∧∧ やってないぜ?
( ‥)
−( ‥)あれ?
24時までやってる
はずなのに
というわけで、もう少し先へいったところにある深夜営業店で食べて読んで、図書館まで足を伸ばし、返却窓口へ本を投下して帰る。家に帰り着いた時には、当然、日付変わって本日4日である。
∧∧
(‥ )返却はスペインの歴史の本
\− だったけども
レコンキスタの完成
アラゴン王国の説明までで
返却だ
(‥ )スペインって結構
複雑な歴史なのな
征服されてローマ帝国の領土として発展するも、ゲルマン民族の移動で西ゴート族が侵入。西ゴート王国(415〜711年)が成立。
∧∧
(‥ )300年続いたのに
\− 最後まで部族社会で
王権が安定しなかった
みたいだね
(‥ )西ゴートの家系でない
人間は王にはなれない
という法律を制定したり
最後まで
先住先進のローマ帝国と
同化しなかったみたいだな
これはおおむね同じ時期に中国へ侵入した遊牧民が五胡十六国時代(316〜439)、引き続く南北朝(479〜581年)の間に中国文明を引き継ぎ、ついには大唐帝国(618〜907年)を建国したことと対照的であった。
*唐帝国は典型的な中国王朝と見えて、実は北朝系統、たどれば侵入遊牧民である鮮卑族系統の王朝であった。
∧∧
( ‥)なんでだろうね?
( ‥)よくわからんのよなー
−/
中国に侵入した遊牧民たちと違い、ローマ帝国に侵入したゲルマン人は十分に先進文明を引き継ぐことができず、崩壊した帝国の再統一ということもできなかった。大部分の原因はこの時期、西欧は気候が悪化しており。おそらくは農業生産の低調さで帝国の再建も、そもそも引き継ぎもできなかったで説明できる。
∧∧
(‥ )でもスペインって
\− そんな寒い気候には
思えないよね?
イスラームに
征服された後
ちょこんと北方に
成立した
キリスト教国家
レオン王国も
そんな寒くない
(‥ )レオンの首都は
都市レオン
ローマ軍団の駐在に
由来する駐屯都市だ
そうだけど
冬でも7度〜0度の
温暖な気候だよな
こういう良さげな気候でも十分な継承や再建ができなかったというのは奇妙なことであった。
∧∧
( ‥)乾燥気味だから
農業生産が
ふるわないとか?
( ‥)どうなんだろうね?
−/ スペインの農業って?
世の中の人間や歴史家は政治やイデオロギーで物事を理解しようとするが、実際には農業生産や気候、水、降水量や植生に、要するにカロリー供給に支配されているのである。すべての政治的理解をカロリーに変換しない限り、その理解は理解でないだろう。
*追記的にさらに続けると、西ゴート王国を711年に滅ぼし、スペインを支配し、最終的に1492年に半島から追い落とされたイスラーム国家。これらイスラム国家群もおかしなものでほぼほぼずっと部族社会のままであったらしい。
∧∧
(‥ )征服者がそもそも
\− アラブの部族社会で
あったし
(‥ )以後
ジブラルタルを越えて
やってくる征服者も
モロッコ方面の
ベルベル人たち
部族社会だったから
が原因みたいよね
部族社会がかなり続いたらしいこと。このあたり、どう理解すれば良いのかというのは絶えず問題になりうる。特にスペインは16〜17世紀にイタリアを支配、教皇庁の異端審問傾向に拍車をかけるので、科学史においてもある期間、関わる問題であった。
*地動説を唱えて火炙りにされた(と誤解されている)ブルーノも、こういう国際情勢が原因で処刑されており、つまるところ天動説から地動説への転換期。スペイン情勢が直接ではないにせよ、科学に関係してくる。