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2018年9月3日月曜日

皆、すでに自分のあるべき場所にいる

 
 以前、こんなネット記事を読んだことがある。
 
 ある数学が得意だった生徒。先生は進学させたがったが、時代が時代だったために、生徒は家の都合で就職した。ずいぶんたって先生はその生徒に会った。生徒がこんなことを考えた、と言って見せてくれたのは二次方程式の解き方だった。彼は学べば知れることを知らないままに独自に発明していたのだった。才能を無駄にしてしまった。先生は涙した。
 
 ∧∧
(‥ )ちょっと聞くと
\‐  才能のある人間に
    教育の機会を与えられなかった
    体制の不備と不幸を
    告発しているように
    聞こえるけども

 
  (‥ )実際にはそんな程度の
      才能だったら
      就職させた方が
      良いだろうな

 
 
 独自に発見する人。そんな人間はいくらでもいる。WW2におけるドイツ軍の暗号解読に参加したイギリスの数学者グッドは10歳の時に暗算していて、2の平方根が無理数であることに気づいたそうだ。グッドは進学できたが、自分のように神童と呼ばれた子供がいくらでもいることを見出した「統計学を拓いた異才たち」)。
 
 ∧∧
( ‥)だから冒頭の話
    貧困で進学をあきらめて
    二次方程式だかなんだかを
    独自発見した生徒の話なんて
    掃いて捨てるほどいる
    そこそこの才能でしかない
 
  ( ‥)だからそんなもの
    ‐/ どうでもいい
       エピソードなんだよね
 
 だが人はこの手の話に共感をよせて、時には涙する。なぜだろう?
 
 もしかしたら、

 自分も同じだ。確かに自分は進学できたが、あの日、あの時、もっと分かりやすく教えてくれる指導者がいたら、もっと上の地位に上り詰めていたのではないか?
 
 そう思ってしまうからかもしれない。
 
 人は同情する時、相手に自分の無念を重ねるものだ。
 
 ∧∧
(‥ )でも世の中には
\‐  これとは反対に
    たまたま分不相応な地位に
    登ってしまった人もいるよね
 
  (‥ )某大学の某教授はな
      他人から金で買った成果で
      論文を書いて
      それがnatureに載ったから
      教授になれたのよね
 
 進学させればもう少しだけ上の地位にいけたかも、という人もいれば、このように、どう考えても分不相応な立場に登ってしまった、という場合もある。
 
 考えて見れば、これは分散である。あるべき場所からずれる。ずれは上の時もあれば下の時もある。しかしそのずれはあるべき場所から平均して分散する。
 
 ∧∧
( ‥)それを考えますとねえ
 
  ( ‥)平均的に言えば
    ‐/ みんな
       自分のあるべき場所に
       いる
       そういうことだと
       思うけどな
 
 
 みな、自分のあるべき場所、自分の実力で到達できる場所にいる。それだけの話ではなかったか?
      

 

 

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