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2018年2月15日木曜日

正しさと分かりやすさは反比例するので

 
 ∧∧
(‥ )でも文章を分かりやすく
\‐   正確に書くって
     どうすれば
     いいんだろうね
 
  (‥ )まず
      分かりやすさと
      正確さは反比例する
      そのことを踏まえる
      べきだと思うが
 
 例えば正確にしようと思えば、地図は無限大の情報を含むことになり、使用できなくなる。
 
 ∧∧
( ‥)反対に分かりやすくしよう
    と思えば
    大通りと目立つ建物
    目立つ通りを描けば良い
 
  (‥ )しかもそういう地図ってさ
      現実の距離、方位、地形
      配置から
      かけ離れているんよね
 
 道なりまっすぐ。口でも地図でもそう説明して描くが、実際にはゆるやかなカーブで、かなり曲がっている。それにも関わらず、まっすぐだと認識して描いて伝えてしまうし、それで十分。それが人間の認識と理解。
 
 ∧∧
(‥ )言い換えれば
\‐  わかりやすい地図とは
    認識にそってゆがめられた
    地図なのである
 
  (‥ )文章も同様だ
     正確に書けば情報は無限大に
     なってしまって
     読み手の頭脳の限界を
     超えてしまう
     脳は人体の全代謝の
     1割、2割を消費する
     それゆえ
     脳の負荷になることを
     人間は嫌うからな
     正確な文章を人は読めない
 
 もちろん、認識にそってゆがめられた分かりやすい説明とは極めて危険なものでもある。これは生物学では特に顕著だ。
 
 明瞭なのは進化論だ。ダーウィンは種という概念を放棄すれば種が説明可能であることを明示したが、人間は種を認識してしまうためダーウィンの主張を理解することができなかった。そしてダーウィン以後に現れた画期的な進化理論と自称するもの、例えばグールドの断続平衡説や今西錦司の理論など、これらはいずれも認識論へと後退した劣った理論でしかなかった。
 
 ∧∧
(‥ )でも認識論に後退したからこそ
\‐  分かりやすい理論になり
    これゆえに
    科学好きな人におおいに
    受けてしまったのだね
 
  (‥ )分かりやすさを追求すると
      破綻が起こるし
      正確さを追求すると
      理解が崩れる
      そこをどう調整するか
      ここが重要よね
 
 この調整は伝えるべき個々の事柄によってそれぞれ違うであろう。

 しかし、次のことは確実に言えるのである。
 
 ∧∧
( ‥)正しくて分かりやすい文章を
    書くことは
    原理的に不可能である
 
  (‥ )正しくて分かりやすい文章
      などという言う人間
      主張する人間
      信じる人間
      かようなもの
      すべて抹殺すべし
 
 やつらをこの地上から一人残らず滅ぼさねば、正しさは担保されぬであろう。
 
 
 

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