昨日、ある人からこんな話を聞いた。ホタルの餌に外来の、しかも単為生殖する巻貝を与えようとした人々がいた(あるいはいる:現在進行形)。
こんな言葉もあったのだとか。
この貝は1匹でも増えますのでホタルの餌に最適です。
∧∧
( ‥)......? まじ?
(‥ )らしいよ。
貝の名前はコモチカワツボ。いやはや単為生殖の外来種を国内に導入するとは恐れ入る。この発想は、なるほど、予想のはるか斜め上。
∧∧
( ‥)ホタルの保護が目的なんじゃないの?
環境ってどうなっちゃうの?
(‥ )だからエコには優しいんだろ。
こういえばどう?
:エコに優しいことが環境保全において効果的であるとは限らない
∧∧
( ‥)エコって何ね?
(‥ )一部の人が思い描く認識じゃないですかね。
単為生殖する外来種を餌にすればホタルが増えるだろう。だから、それはホタルに良い。
このような主張はそれ自体には何の矛盾もなく、それで完結しているに違いない。さらに以上を”エコ”だと認識し、あるいはエコだとカテゴライズして、エコなる名称を与えることもできるだろう。
∧∧
( ‥)でも現実世界を改変しちゃうことに
なりますよ??!!
(‥ )いやな現実なんて見なけりゃすむことじゃないか。
あるいはこう。ある論理をエコであり、それは真であると前提すればエコなる幸せをいかようにでも語れる。あわれなるかな言葉はタダで、いくらでも美しさをつむげるだろう。
しかしこう。それは現実を説明していない。
つまりこう。現実を説明する能力のない論理は人を幸せにしてくれるが、それはいずれ現実に包囲されて死に、現実の前に屈服して敗北を喫するだろう。さながらルイセンコのごとく。