自己紹介

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2018年12月23日日曜日

タダ働きよりも批判が手抜きである

 
 ∧∧
(‥ )日本国紀がそんなに嫌なら
\‐  お前らが通史を書けば
    良いじゃないか! という
    批判に対して
    これは非対称戦だ
    トンデモ本は楽だが
    まともな本はコストがかかると
 
  (‥ )非対称戦ねえ...
      お上品な言い方だな
      そんなもったいぶった
      言い方するから
      君らは負けるんだよ

 
 非対称戦ではない。タダ働きする! これが要点。
 
 非対称戦という言葉には甘えがあり、現実逃避がある。
 
 タダ働きなのだ。分かっているか? ただの非対称戦ではない。タダ働きなんだ。
 
 タダ働きをするかしないか? この問いに、もちろんタダ働きだ! と即答できない時点で負け。ちょっとでも躊躇した時点で負けだ。
 
 ∧∧
( ‥)もっともタダ働きの仕事は
    必ず手抜きになるけどな
 
  ( ‥)だがな
    ‐/ 自分の得意な分野だけで
      あるいは
      自分が気がついた
      ことだけで批判した気に
      なって満足では
      タダ働き以下の手抜きだぞ
 
 人間は損得を計算して行動し、それが意識と言語という形式をとって出力される。
 
 つまるところ皆分かっているのだ。通史を書くというタダ働きよりも批判という楽を私は選びましたと。
 
 かくて、永久に口先だけで終わるのである。
 

 口先だけの人間に勝利はやってこない。
 
 
 ∧∧
(‥ )まあ批判しちゃいけない
\‐  わけじゃないけどね
 
  (‥ )批判なんてしょせんは
      愚痴だからな
 
 そして愚痴をこぼさないと人間は死ぬ。
 
 愚痴も批判も、それは許される。その理由がこれゆえだ。
 
 だからおおいに愚痴れ、批判せよ。しかしその愚痴と批判がどれだけ正しくとも、その時点で負けだ。
 
 そしてこんなこと誰でも意識下では知っているのである。


 自覚していない人間でも、自分は逃げた、自分は勝負をしなかった、自分は永久に外野だ、自分は自分からそれを選んだ。誰もがこのことを知っているのである。
 
 
 
 
 
 
 

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